ホリエモンはさて?
もちろんライブドア、堀江氏を応援している。もちろん、人格、人となりを存じ上げるわけでもなく、テレビ画面に映る彼の態度・物言いを好ましいと思っているわけではない。判官贔屓かもしれない。ただ、プロ野球に引き続いての単なるお騒がせ男、生意気な若造、不届き者が、と見る経済界、メディアが多いのには呆れる。
その中で注目するのはライバル日本テレビ氏家会長が「(堀江貴文ライブドア社長は)極めて非常識だと思う」と批判する一方で、「日本に一つの活力をもたらすことがあるのかな。常識は欠けていてもなかなか面白いことを言う」と評価して見せたり、田中康夫長野県知事が「価値紊乱(びんらん)者としての彼を積極的に評価すべきではないか」、と三井住友銀行頭取の西川善文氏の言も引きながら肯定的なコメントを出していた。また、この件に関して、我が国唯一の経済紙でありながら、朝日などに比べ明らかに出遅れていた日経は3/2付けで、日本電産の永守社長の発言を掲載していた。永守氏「堀江さんは大きな風穴を開けた。(中略)彼を悪者にしてはいけない。やり方は他にあったかもしれないが、彼が悪でニッポン放送が善だと言い出したら日本市場はおしまいだ」
私の考えが堀江氏に向いているからなのだが、上記四氏の考え方が正しいと考える。本当に日本は自由主義経済を標榜し、資本主義社会のトップを走る国なのか?私も自分ながら日本人らしいと自負しているところがあった。しかし、私よりも日本人らしいのは55年体制がそうであったように、政治的に右であろうが左であろうが、つまり徒に日本に固執してみせる人たちであり、徒に国を軽んじ、市民を、という人たちであった。常に形式主義、常に権威主義であったことがその体制を維持せしめてきたのだと思う。「大過なく」という事である。聖徳太子の時代からの事であるわけだが、考えなければならないのは誠に残念ながらそれでは日本はやっていけない、ということなのだ。日本型の資本主義を認めてくれるほど市場は甘く無いのだし、日本にはそれを認めさせるだけの力も意欲もない。経済界が経済の大原則を忘れ、もしくは忘れたふりをし、「市民派」が権威主義となって口笛を吹きながらそれを隠す。安部公房の「良識派」という短い文をご覧になるがいい。
「日本は最も理想的な、成功した社会主義国だ」といったのは確かゴルバチョフ元大統領だが、先日外国人記者クラブで好評を得た堀江氏はこの言葉を引用すればもっと良かった。日本人は大統領が好きなのだから。
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