手のひらを返す
妙高杉の原スキー場へ行ってきた。春休みもあと数日で終わることとなり、子供たちの視線が厳しかったのである。昨日まで仕事だったので、今日はお休みをいただいて半日ばかり遊んできた。杉の原はガラガラであり、天候も良く、十分滑れた。長男、次男はもとより、三男坊まで結構上手になっているのだが、肝心のお父さんは、重くなっている春の雪に脚力がついてゆかず、思いっきり、顔面からコケた。片足のスキーが吹っ飛び、立ち上がっても、サングラスは雪だらけ、1キロ離れていてもコケたことがわかる姿だった。自慢の顔に傷がつかなかったのがせめてもの救いだが、親父の威厳には傷がついた。
さて、杉の原は好きなスキー場の一つだが、広い、眺望がいい、適度な斜面、挑戦できる余地もある、長い、と理由が挙げられる。ただ、コクド、西武の経営だからか、高い、サービスが今一歩、と少し高慢な印象もあった。本日のレンタルスキーのおじさんは優しかったし、レストランの女の子も可愛かった、ことは全然関係無いにしても、過日来の報道のせいなのか全体に柔らかさを感じた、とは穿った見方だったのだろうか。
報道は西武グループ、堤義明氏、完全なる悪者という構図で進んでいる。私が相変わらず、へそ曲がりなのかもしれないが、ちょっと、オイオイ、堤さんに感謝することは無いのか?という思いもある。学生のころアルバイトで、西武新宿線の電車つり革に「お引越しは西武運輸へ」というシール貼りをさせてもらった、という経験があるものだから、幾分西武グループには恩義を感じている。こう書くと、絶対に「だからお前は体制派なんだ、資本主義の権化に搾取されて恩義を感じるなんて」などと感じる輩がいるのだ。
報道は現今の最大権力であり、権威であると私は感じているのだが、書かれていることが道徳だ、と思われる方も多い。私には記名記事で、納得が行くのは朝日スポーツ面の西村欣也氏、日経政治面の田勢康弘氏、毎日の岩見隆夫氏ぐらいしか思い出されない。対して、一気呵成に、キャンペーンのごとく報道される記事にはいつも唸っている。その罪がハッキリしかかると、もう嵩にかかって攻めてくる。スジのある、一貫した報道、こびない、けれども優しい、「真実を発見しようとする」ジャーナリズムは難しいのだろう。分かっていても書けない事も多いのかもしれない。だが・・・・、といつも思っている。
柏崎でも、原発反対派は「原発重要産業派」を「よりマシだ」という実に現実的な理由、正に保守的な理由で積極的に、かつ陰に隠れて支持し、環境共生公園の抜本的見直しはいつの間にか維持管理費の問題にすりかえられ、市民の声として、請願を押し通し美術館を葬った勢力は、多くの市民の意見を聞かずに、維持管理費やその活用に大いなる課題、不透明感が伴う遺跡公園の大幅拡張に歩を進めている。昨年まで遺跡にそれほどの価値を見出してこなかった教育委員会の所見はいったいどうなるのか?凛と立つ妙高山の山容、スカイラインを見てきた私には、そのやり方が余りにも反「堂々」、非「明々」、「手のひらを返す」がごとき振る舞いのように思われる。
自然に触れ、生臭くなるのも問題だが、右肘打撲全治1週間と診断されるようなスキーの後遺症より問題は少し大きいのではないか。来週末には柏崎山岳会主催の米山登山がある。一応、会員の私も登る。生臭くならぬよう、ノンスメルやキムコを持って行かねばならぬ。
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