それでもホリエモン、そしてビートたけし
様々な評価があるであろう。けれども堀江氏を私は評価する。マネーゲームと呼ぶもよし、通信と放送の融合はどうなったんだ?という批判もよし。「もう少しつっぱってもらいたかった」という失望もよし。しかし、「世の中お金ばかりじゃないのよ」と訳知り顔でインタビューに答えるおばさんよりもずうっといい。彼には覚悟があった。それが、金に対するものであっても構わない。
様々な権威がある。様々な既成勢力がある。名門企業があり、古い伝統を持つ機関がある。地元の名士がいる。私たちはそこに含まれながらも、含まれようとしながらも、その「社会」に対する忠誠、帰属意識は薄くなってきている。同時に抗する度胸もない。なぜ、自らはこの組織に?なぜ自社はこの団体に?などと考えることなく、いわゆる「しがらみ」や今までの「おつきあい」や「あきらめ」や「無関心」故に、本心ではあまり意味をなさないと思いながらも、それを継続している。関心を持つことや意識すること、勇気よりも面倒くさくなく、安全である、という理由、思いこみで。
株式会社とは?という基本的な問いかけを私たちは無視し、無視しようとし、それに対しての正しいと思われる答えを出すこと、考えることをサボってきた。同様に身の回りには色々ある。既成のもの、組織、考え方、生き方。
見てみるがいい。いかに私たち日本人は一所懸命に課題、問題を克服しようと、まじめに毎日たくさんのシンポジウムを開いているか。そして、そこに現れるパネラーと称する「芸人」はいつも同じである。いつも予想できる。芸があればまだいい。その実は周りも、ご本人自身も「芝居」だと思って、役者を演じている。実がない。率直さがない。私にも経験がある。これこそ、日本の実体であり、柏崎の現実である。身の回りに、「本当は・・・・」と表に出すことが余りにも少ない。むき出しのものが無い。
私は学生の頃、「タモリとたけしとどちらが好きか?どちらが頭がよいか?」という友人の問いかけに、「タモリ」と答えて散々馬鹿にされた。私が間違っていたことは、さすがの私でもすぐにわかったのだが、今回の騒動で、タモリがニッポン放送への出演を拒否する可能性を示唆したとき、改めて私自身の先見の無さを20年ぶりにまた思い知らされた。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」思い出してもらいたい。これはビートたけしの言葉である。敢えて言えば、北野武の言葉ではない。本音であり、率直だ。ホリエモンに通じるところがあるように思えた。
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