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何度も書いて恐縮だが、私は「日本人」であり、元々は漸進主義者だと思っている。日本人は大半はそうであろう。諍いを好まず、出来る限り穏便に事を済ます。また、そうでなければ国や社会が成立しない背景もあった。単純に考えても狭い国土、皆無に等しい鉱物・エネルギー資源の中で1億2千万人が生活していくのだから、よく言えば秩序、規律、モラル、そしてそのベースとなる家族主義が必須であった。経済の世界では、「談合」や「護送船団方式」と呼ばれる。善し悪しは別である。
5月29日日曜日のNHKスペシャル:日本の群像・再起への20年「銀行マンの苦闘」は出来すぎるほど良くできていた。要は莫大な不良債権の山をいかに処理するかという、日米の違いを際だたせた番組であった。
片や80年代に一括処理を行った米国、そして今や日本のみならず世界を席巻する投資銀行・ゴールドマン・サックス。片や、当時の幹部たちが「日本の金融機関は『時間』を貸しているのだ。会社を倒産させないように支援するのが仕事だと思っていた」と語る日本長期信用銀行。
ゴールドマン・サックスの幹部はこう言う。
「金融機関は価値を生み出す会社を支援する」
そして、米国の報告書は「too little,too late」(小さすぎる、遅すぎる)と有名となった言葉で、日本の施策を責め立てる。「銀行はつぶれない・つぶさない」「終身雇用こそが理想」といった日本の常識が通じなかった。そして、日本は遅ればせながらアメリカと同じ道を選択している。関係がないようで、地方の自治体にも全てが繋がっている。
誰もが穏やかな生活をしたい。残念ながら、鎖国をして生活を出来ない日本が、世界と繋がるしか生きるすべがない日本が選ばざるを得ないのは、経済の道を外れず、真の資本主義、合理主義の道しかないのだろう。「まあまあ」と言っているうちに多くのものを失ってしまう時代になってきた。
当日夜、続けて見た「義経」では義経が「まつりごとに情は必要ないのですか」と問い、頼朝が「情は必要だが第一ではない」と答えていた。私を含め多くの日本人が頼朝に対し「ん」と思ったに違いない。しかし、それが為政者なのであろう。
「判官贔屓」そして、スピード、合理。建設業界の談合を人ごとのように責め、そしてすぐに忘れ、赦す社会。不良債権処理を進め、地方の金融機関の自己資本比率はほぼ横並びとなった。横並びである。ご存じの通り長銀は外資パートナーズ社に買われ、新生銀行になった。パートナーズである。
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