市民?の声を聞く?聴く?
柏崎日報に西山、高柳の時報問題についての議会やりとりが掲載されていた。一般質問で西山の斎木議員、高柳の吉川議員がそれぞれ持ち味を出しながら質問するのをラジオで聴いていたが、はっきり言って、市長の答弁は役人の答弁であった。市民を代表する立場にある議員が、是非、と求めているのだから、「分かりました。1年は従来通りとしましょう。その代わり、来年からは全市統一とします。この一年間、議員さんからも全市統一の意味を地域の皆さんに話しておいて下さいね。」まあ、最後の「ね」は要らないが、これが政治でしょう。と思っていた。逆に「断固統一で行きます}というのも見識だ。
ところが、昨日の議員さんの同じ質問に対しては「柔軟姿勢」を見せたという。なるほど、これは政治である。従来の柏崎市議会でも、市長が同じ質問であっても、答弁に色が濃い薄いはあった。長短はあった。政治家とて人間だからこれはこれでいいと思っている。
私が首を傾げるどころか、首が回ってしまいそうなのが日報の記事に書かれていた答弁の内容である。
「三人からそろって同じ様な質問を受けた。旧両町の声をふまえてのことと思うので、改めて旧両町の声を聞いてみて判断したい」と述べた、そうである。
声を受けて、声を聞いてみたい。「問題な日本語」である。「改めて、住民の声を確認するためにアンケートなどをするべきだ」という質問であったならばともかくも。そうではないのだから。柏崎市議会は遺跡問題で、議会議決を守れという議会決議を可決した実績があるから、さもありなん、という感じもするが、それにしても西山、高柳の声を代表して、議員が発言、提言しているのだから、それに対して、また「声を聞いてみたい」とは議員の発言まで「透明なもの」となった。議員さん3人とも怒るべきである。議会とはそう言う存在であるはずだ。
市民の声を聴く。これは基本の基本。それが、目標ではない。市民生活の安心・安全、そして向上が目標である。
以前、教員をしていた頃、大村はま 氏の名著「教えるということ」を読んだことがある。大村氏はこう語る。
「子どもが好きだから、先生になる、『いい人』だから先生になれる、なんてのはおかしい。そんなのは当たり前なんです。それはただ、人間なんですから。」
« 残念ながら | トップページ | COOL BOUZU »
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
80近いご婦人がかざくるまのコースを四谷方面まで延長して欲しいと地域の市議を訪ねたら市長への手紙を書くよう薦められ私に代筆を・・・しかし、こんな事に手を貸すのは馬鹿馬鹿しく、いいねっか取材で行った寺のK住職から貰った移動市長室の案内のチラシを見せ、連れて行き直接話しをするよう薦めた。私は市長の1時間の話しだけを聞いた。その時この時報の件も出た。
投稿: いいねっか | 2005年12月 9日 (金) 22:42