私の思い
柏崎日報の記事をご覧になられた方も多いと思う。昨日はえんま市の最終日で、女房、子どもと歩いていると、閻魔堂の前で「見たぞ。しっかりやれや。」と握手を求めてこられる方もいらっしゃったし、「見たわよ。頑張って」と声をかけて下さる女性もいらっしゃった。
「私自身、今すぐどうこう、というところではないのですが、ただ、政治という道で、柏崎のことを考え続けたいと思っています。そしていつの時期かは別として、どのような過程を経ていくかは別として、柏崎市長として柏崎のために働かせていただくことが最終目標です。」と過日申し上げたことが記事になったわけである。
女房は複雑である。より正確に言えば、限りなく反対に近いのかもしれない。そうであろう。よく分かる。
柏崎のために今一番求められているのは「ウソが無いこと」だと思う。政治にはウソがつきものであるが、余りにもの大事において、ウソが多い。それも自らのためだけのウソが多い。
私とて不安がある。不安だらけだ。そして、もちろん、いろいろな要素がある。当然のことながら、私を含め一番大切なのは自分のことであり、家族のことである。人は忘れる。そして、覚えている。
女房が言った。「誰がなっても同じじゃない、・・・・そんな風に思えてきたわ」
今それに反論するだけの説得力は私にはない。ただ、柏崎のことをより深く考え、より大切なものとし、より先進であり続けること、何よりも柏崎への思い・誇り、そして勇気を持って行動することが政治であるとするならば、私は柏崎の政治家でありたい、と願う。
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