地震のあと
中越地震から1年が経った。1年前、私個人にとって見れば市長選まであと20日というところで地震が起きた。災害時の現職有利、という定説を心配しながら、市内の被災地を回った。そして、市長が代わり、柏崎でも未だ仮設住宅で暮らしておられる方もいらっしゃる。また災害復旧も急ピッチで進められているが、完了しないまま2回目の冬を迎えてしまう。
昨年10月23日土曜日は子どもがお世話になっているアイスホッケーチーム総会の日であった。18時の乾杯間際に起こった地震で私はすぐに市役所に駆けつけた。18:05ぐらいであった。偶然であるが、いち早く駆けつけたのは、助役、原発反対派の矢部市議会議員と私であった。私は主に原子力安全を担当する部署で、「とにかく先ず東電と連絡を取れ」と指示した。職員ももとよりそれをしようとしていたのだが、電話回線などが使えない状況であった。専用回線もなかなか通じず、時間だけが過ぎていった。私は「職員を走らせろ!車は混んでいるかもしれないから、バイクか自転車かでとにかく正確な情報を送れ」その脇で、矢部氏が「二人でいけ!」と指示を重ねた。
後になって、担当の部長が「議員さんに言われたからではなく、担当が指示を出したものです」と強弁していたが、あの混乱を現場で一番よく知っているのは私である。
10年前の阪神・淡路大震災では4,500人以上もの方が亡くなられた。私はこのとき登山靴に、リュック、テント、寝袋、食料持参で現地を訪れた。あれ以降神戸を訪れてはいないが、復興の様子は十分よく分かる。柏崎も含め、中越地震の被災地に関しては復興ではない、復旧である。亡くなられた方の数に関わらず、復興で無ければならない。地震のあと平成の大合併が行われ、山古志村は無くなり、旧山古志村となった。
地震で変わったものは何か。変わらないものは何か。
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