2年前の切り抜き
建築家 安藤忠雄氏2年前の言葉。(2004.3.18 日経 日本新生への処方箋)
日本の閉塞感をうち破るには、どのようにしたらよいのか。まず、戦後の復興期に働き盛りだった人たちの姿を思い出してほしい。焼け野原から歯を食いしばってって現代日本の基礎を作り上げた人たちのことを。彼らには、一人ひとりに生きる力があり、責任感があった。そして、そこには強力なリーダーの存在があった。彼らの責任感や努力をもう一度振り返り、見習うことが必要だろう。
日本にはもともと、個性豊かな地域社会があり、それを支える家族があった。家族は地域に対して誇りと責任をもった。しかし、戦後、近代化が進む中、大企業が社会に対し大きな力を持つようになり、多くの人は大企業で働くことを望んだ。
そして、受験戦争を勝ち抜いた、成績のいい人が日本を代表する企業に就職している。彼らは失敗しないようにそつなく振る舞う。何かに挑戦したら失敗するのは当然で、それによって緊張感や慎重さ、自らの行動に対する責任感も生まれてくる。今の日本社会には新しいことに挑戦する風土もなければ、個人にその勇気もない。
最近、多くの企業が、社員に「もっと創造的に」「独創性をもて」などと言い始めている。しかし、失敗をしないように生きてきた人たちが突然緊張感を高めて、自分の責任で行動し、創造性を発揮するというのは、ほとんど不可能である。創造的なものというのは、不安や緊張の中で死に物狂いで仕事をし続けているときに生まれるものだ。
私は、この新聞の切り抜きを未だ大事に保管している。この切り抜きを2年前何度取り出し読んだことか。
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コメント
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通りすがりの建築家さん、コメントありがとうございました。そうですね。私自身、卑屈、偏屈は意識しています。私が15年前に市議会議員立候補を考え、3人の先輩に対し、卑屈や妬みというものを嫌う、と言う内容で手紙を書いたことを覚えています。ただ、14年間「だし」としていい味を演出してきたなあ、と自負する私が、「だし」で終わってしまいつつあるのか、とふと感じるときの思いはなかなかであります。そして、残念ながら正々堂々が無い相手に対して、塩を送るほどの度量は持ち合わせておりません。もちろんそれは考えが異なるものを排すると言うことではありません。考えを明らかにしない事を排すると言うことです。私の宣言です。
投稿: 桜井雅浩 | 2006年8月31日 (木) 16:35
「いかに良い街にするか」が大前提だと思う。
そこには勝者も敗者もない。(選挙にはあれど)
住民の為「自分の考えがパクられた」としてもいいじゃないですか。
自身の考えをしっかりと市場にだし(表現し)、それを評価されるという建築という世界での巨匠(ではないが)の言葉。彼は連戦連敗の男である。
「パクられるから」ほど出しにするみたいな言葉、そしてそれをおおっぴらに書き込むのは如何なものでしょうか?
1敗で卑屈にならぬよう。
投稿: 通りすがりの建築家 | 2006年8月31日 (木) 08:03