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地震後7ヶ月のブログ

私のつれづれbooks

  • マキアヴェリ 君主論
    決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとするあまり、多くのばあい中立の道を選ぶ。そして、おおかたの君主が滅んでいく。(君主論) 弱体な国家は、常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。(国家論)
  • 奥田英朗 著: 町長選挙

    奥田英朗 著: 町長選挙
    題名が気になるが、ホリエモンやナベツネをモデルにした、ユーモアあふれ、どこかペーソス(哀愁)を感じさせる、人生賛歌?

  • 佐々木 毅著: プラトンの呪縛

    佐々木 毅著: プラトンの呪縛
    民主主義の可能性と限界を考えさせるプラトン。ではいかなる政治が?小泉自民党を支持した私を含む日本国民が慎重に考えなければならない。

  • 土門 拳: 土門拳強く美しいもの

    土門 拳: 土門拳強く美しいもの

  • 日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済

    日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済
    全章興味深いが、第12章 「エネルギーの覇権」:土市勉 は柏崎の方なら必読。僭越ながら、原子力と水素:燃料電池の関連づけは私も浜岡原発の事故の際に思いついた。

  • 村上 龍: 半島を出よ 下

    村上 龍: 半島を出よ 下
     益々さわやかさからは遠ざかる。暴力がテーマ、となると北野武監督になると思うが、村上龍自身監督をつとめた経験もあるのだから、いずれ映画化されるであろう。それを意識して書かれた作品。  北野武が蓮實重彦にその自殺願望を見抜かれたことと同様、気付かれたくない、けれども気付いてもらいたい、落ちていく日本、それに気付かない日本人。実は日本自身に自殺願望があるのだ、それを感じ取ってくれ、との叫びの様にも感じられる。希望は?再生は?さて、・・・・。         

  • 村上 龍: 半島を出よ 上

    村上 龍: 半島を出よ 上
    さわやかな連休には一番ふさわしくない本だが、今の日本人が一番読まなければならないような気がする。読み始めたばかりだが、そう感じた。20年ほど前、同じ村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで唸ったことがあるが、同様にインパクトがある本のように思える。

  • 幸田 真音: 小説ヘッジファンド

    幸田 真音: 小説ヘッジファンド
    4.5年前のものだが、今読むと日本経済、システムがよく分かる。結末は少し出来すぎ。


  • 佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

    佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

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2011年3月

2011年3月31日 (木)

原発容認派のモノローグ、エピローグ

 今、3月31日、朝である。雨が降り、稲妻が光っている。柏崎では温かな日差しが数日続いたが今朝はその怒りが未だ続いているがごときである。

 バベルの塔を思い出す。

 私は14年間の市議会議員活動、その後2回の市長選候補者として政治活動を行ってきた。原子力発電に関しては一貫して「容認」の立場で発言をし、行動してきた。核燃料サイクルに伴ういわゆる「プルサーマル」計画にも理解を示し、容認の立場でリードしてきた。リードしてきた。

 7年前、そして3年前の市長選にあたっても「産業としての原子力」を訴えてきた。1回目は中越地震直後の選挙であった。2回目は中越沖地震から1年後の選挙であった。2回目の市長選では、「エネルギーと環境」を旗印に、原子力発電に関わる部品製造ならびに耐震補強やプラントのオペレーション技術をも「商品」として柏崎の経済に資するものとしたいと主張した。私は自らのブログをほぼ6年間書き綴ってきたが、今回の東北地方太平洋沖地震が起きる前日、つまり3月10日も原子力技術を柏崎経済と結びつける旨の小論を書いていた。

 その翌日、3月11日、東北地方太平洋沖地震が起こった。以来、3週間、次第に明らかとなる余りにも大きな被害、呆然とするような自然の猛威に私は力を失われたかのごとくであった。

 私のブログは、「海・山・川で考える」である。浅はかな題名である。自然を愛するがごとき傲慢はその自然によって「格」の違いをまざまざと思い知らされた。不明、という言葉のみが頭の中によぎり、脱力感が支配しつつある自分にそれでも残された意識や意志があるのだと自覚させるのが原発であった。

 被災された皆様の悲しみや嘆き、怒りを同じように体感できぬ中で私はそのほんのわずかなところだけであっても想像するしかない。そして、許されている時間的な余裕を報道が流す地震関連、とりわけ原発関連に自らの耳目を集中させてきた。何よりも原発が心配だった。せめてもの私の仕事であった。

 正直に言えば、この度の地震においては、12日の爆発の時点で既に原発の運命が見えた様に思えたのだが、この期に及んでまだ、原発の可能性について探る自分がいたことも否めない。もう少し落ち着いてから、と自分に言い聞かせる言葉は自らの感傷を戒める言葉でもあり、自らの臆病を取り繕う言葉でもあったのだ。だが、もう20日が過ぎた。

 2005年3月9日から2011年3月10日まで、6年間私が原発に関してブログに書き綴ってきたことをまとめるならば次の三つである。

 1,原子力は「容認」するべきエネルギー創出手段である。Co2排出等地球温暖化への対応を考えれば、ベストではないが、燃料電池の実用化、またその他太陽光や風力などいわゆる再生可能エネルギーの現実性と実用性が確保されるまでは、ベター、つまり「次善」として容認するべきである。

2,原子力には潜在的危険がある。よってこれを厳しく規制する姿勢、体制、組織が必要である。原子力安全委員会と原子力安全・保安院を統合し、原子力を専門とする、執行力を伴った原子力規制委員会を作るべきである。

3,柏崎は原子力を産業と考えて行くべきである。原発の増設を求めるのではなく、原発のオペレーション技術、耐震対策、原発の基礎・基幹部品製造をもって柏崎経済のベースとしていくべきである。

 「強く、やさしい柏崎」は3年前、私にとって2回目の市長選でのキャッチフレーズであった。原子力技術、環境技術で稼ぎ出し、経済の土台と為し、そのお金を医療や福祉、教育の充実に使うというのが私の考える「柏崎の姿」であった。

 しかるに、今回の地震である。敢えて言えば東京電力も国も良くやっていると言っていいだろう。尊大な物言いで恐縮するが、今更に責任を痛感するという原子力安全委員会委員長も総理も東電社長もできる限りのところをやっているのだろう。ただ、それは「想定」の中で組み込まれた、準備された対応でしかない。「想定外」という言葉がいかにも軽く使われるような今回の状況の中では、「想定」をした当事者、つまり国ならびに東京電力の責任は計り知れないほど重い。

 私自身も公の立場に身を置いて発言してきた立場であることを鑑みれば一定の責任がある。ここにおいて私は自らの不明を恥じながら、今現在、そして今後について考えていること、感じていることを書き記すことをもって過去への戒めの一つとしたい。そして、私を含め、国民一人1人が今回の事態を深く考え、できうる限りの責任を分担するべきである。

1,今、日本に求められているのは原子力発電の安全施策の抜本的見直しだけではない。エネルギー施策の抜本的見直しである。 

2,日本国は今後20年で原子力発電を撤廃する。原子力発電からの撤退と代替エネルギーの開発を宣言し、可及的速やかな、断固たる実行を国が行うべきである。

3,よって核燃料サイクルは行わない。核燃料廃棄物は中間貯蔵施設立地点の青森の許可が得られない以上は一時的にはそれぞれの原発立地点においての貯蔵を考え、最終処分場の選定を国内外において急ぐ。IAEAなどと連動しながらの国際連携による共同処分場構想にも着手するべきである。

4,また、柏崎・刈羽を含め既存の原発立地点においては国ならびに電気事業者の責任で今回の事故から得た教訓を速やかに実施しながら当面電力の供給に協力せざるを得ない。今、既存の原発を止めることは日本経済、ひいては国民の命をも脅かすことになる。誠に皮肉ではあるが発電の継続を認めざるを得ない。

5,再三再四申し上げ、書いてきたことだが、国においては原子力安全・保安院と原子力安全委員会を統合し、経済産業省から独立させ、国家行政組織法第三条に基づく執行力を伴った行政機関、「原子力規制院」として機能させるべきである。

 原発立地自治体ならびに議会は上記5項目の実現を国に約束させることを大前提として当面の間の原発の運転を認めざるを得ない。ただ、もとより日本の国策として、原発からの撤退という大項目の中には無論柏崎刈羽を含め、全国の既存原発も含まれる。

①既存の原発においては、津波対策のみならず、あらゆる自然災害を「想像」し、考え得る限りの危険回避、危険軽減施設、システムを構築する。安全対策ではない。

②既存原発立地点は、固定資産税とは全く別の観点から、つまり減価償却という観点からではなく、古くなるものには基本的にリスクが高まるという観点から、経年累進課税を持って、原子力施設危険負担対策税を課す。

③また、使用済み核燃料税に関しては本来原発サイト内にあるべきものではないと言う観点から、同じく経年累進課税を導入し、その税率を上げる。

④津波対策、非常用電源対策も兼ね、各地原発近隣部にLNG火力発電所などの建設を行う。各原発内の使用済み核燃料施設拡充との抜本的な安全施策の確保を図る。

⑤国民がなすべきことは、圧倒的な節電である。計画停電、計画節電、電気料金値上げ、増税を含め拘束力、強制力を伴った消費電力の抑制策である。

 以上、国も、東京電力も、柏崎市も、私も、私たちも、様々な思いを抱きながらも、しかし決然と自らの責任を担うことを誓い、前へ進むべきである。人知は自然の下において謙虚であるときのみ機能し得るという冷厳な事実を見据え、日本はエネルギー施策において名誉ある地位を求め進もうではないか。

小説「薔薇の名前」を書いたウンベルト・エーコはこう書いている。

 「自作の飛行船に惚れ込むなかれ」

 白みはじめた窓の外を見やりながら、ひとまずキーボードから離れることとする。決然と謙虚に。祈りながら、願いながら、恥ずかしながら。

2011年3月23日 (水)

名誉ある地位

 私は原子力発電所に関する考えを今まとめている。もう少し事態が落ち着いたならばと日々刻々願っている。

 ただ、日本も柏崎も名誉ある地位を築いてもらいたいと思う。

 友人が紹介してくれた文章である。立教新座中学・高校校長、渡辺憲司先生のものである。私は渡辺先生を存じ上げない。だが、力強く、謙虚で、燦然と輝くこの文章を紹介してくれた友人を誇りに思う。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ)

2011.03.17

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。

 諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
 また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

 とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

 未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

 このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

 諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

 大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

 大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

 多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。


 楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

 君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

 学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

 誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

 大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

 言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

 中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

 大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

 大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

 池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

 「今日ひとりで海を見てきたよ。」

 そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

 悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

 時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

 教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

 「真理はあなたたちを自由にする」
(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)・ヨハネによる福音書8:32

 一言付言する。

 歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

 泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

 今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

 被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

 巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

 本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。(3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする)

 被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

 梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校
校長 渡辺憲司

2011年3月18日 (金)

私の間違い

 私はアメリカに住む親友にこう書いた。3月12日のことである。

 「私は間違っていた。人間、科学技術と自然はバランスをとっていかなければならない。私は人間、科学技術を信じたいと思ってきた。

 日本には資源がない、石油も、天然ガスもない。だから、私たち日本人はひたすら一生懸命働かなければならなかった。経済は重要な要因だ。

 そして私は、君も知っているように自然を愛す人間だ。君と同様に。しかし、私は長い間間違っていた。Nature is  big nature. なんだ。私は市長でもなく、政治的なポジションを持つものではない。ただ、自分が言ってきたことを今考えている」
と書いてメールを送った。

 翌日、届いた彼からの答えの一部は次の通りである。 

 「And please keep believing that man and nature can achieve balance on this planet.  We need to, for the survival of ourselves and our children.  We here in the US do not do a very good job of it, and while Japan does it much better, you are being tested right now.  Please continue to believe in your ideals and your dreams.」

 「この星で自然と人間がバランスを保つことができるということを信じ続けてもらいたい。私たちは自分たちや子どもたちのためにそれを実践する必要がある。私たちアメリカがそのためにそれほど良いことをしているとは思わない。一方、日本はずっとましなことをやっている。君たちは今正に試されているのだ。どうか君の理想と夢を信じ続けてもらいたい」

 私はやはり間違っていたと思う。東京電力福島第一原子力発電所にて、現在作業に携わっていらっしゃる皆さんに最大の敬意を払い、安全を心から願うだけである。

2011年3月14日 (月)

「お世話になります」という心

 この度の大震災において被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。亡くなられた皆様のご冥福をお祈り申し上げます。

 今、深く考える時だろうと思う。一定の結論に至るにはもう少し時間がかかるだろうけれども冷静な、かつ高潔な判断が求められるのではないか。

 海外の方々からの視線には改めて気づかされることがあり、励まされることがある。

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 NY times 「Sympathy for Japan,and Admiration」 Nicholas Kristof

 ニューヨークタイムスのコラムニスト、ニコラス・クリストフ氏は1995年の阪神淡路大震災を東京支社長として伝えた人である。

 One factor may also have to do with our relationship with nature. Americans see themselves as in confrontation with nature, taming it. In contrast, the Japanese conception is that humans are simply one part of nature, riding its tides — including many, many earthquakes throughout history.


I find something noble and courageous in Japan’s resilience and perseverance, and it will be on display in the coming days. This will also be a time when the tight knit of Japan’s social fabric, its toughness and resilience, shine through. And my hunch is that the Japanese will, by and large, work together

 一つの要因が私たちの自然との関係において考慮されるべきなのかもしれない。アメリカ人は自然を、対決し、飼い慣らす対象としてみる。対して、日本人は、人間は自然の一部であり、潮に身をゆだねるがごとき考えに基づいている。そしてその自然には歴史の中で数多くもたらされた地震をも含んでいる。

 私は日本の回復力と堅忍の中に高貴で、勇気あるものを見いだしている。そしてそのことは今このときに明らかにされるだろう。さらに日本の堅く編み込まれた社会組織が強さと回復力となって輝き放たれる時でもあろう。日本人は、大きく見て、力を合わせていく、というのが私の勘である。

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 THE  WALL STREET JOURNAL  opinion 

           Sturdy  Japan  不屈の日本   

   No country was better prepared for an 8.9 quake.

   8.9の地震に対して日本ほど良く準備された国はなかった。

 

The_wallstreet_journal20110313_cu_8

 

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 テレビを見ていたら、年老いた女性が避難所に入るとき、「お世話になります」と頭を下げていらっしゃった。

 この言葉の心こそ私たちがまず思い出すことなのだろう。そして抱き続けるべきものなのだと思う。

2011年3月12日 (土)

自然と人間

 最悪の事態である。人知を超える、という言葉があてはまる。

 自然は人知を遙かに超えているのだ。私を含め不明という言葉しかあてはまらない。

2011年3月10日 (木)

心配

 今朝の朝日6面、中国国有の原子力発電会社副社長劉巍氏のインタビューが載っている。向こう10年にわたって毎年6基ずつの原発を作ることが明らかにされている。急激なエネルギー需要と二酸化炭素排出抑制に対応するものだと思われる。

 技術の蓄積に自信を持ち、安いコストも自ら意識して外国への輸出も考えているという。加えて私にとって衝撃的だったのは柏崎の名が出てきたことだ。

 「昨年は新潟・柏崎刈羽原発を見学し、地震について学んだ。良い機会だった」

 と記事は結ばれているのだが、私には「タダで学ばれてしまった」と見て取れる。隣国中国との関係を考えれば、地震のデータもまた免震、耐震技術も提供することが日中友好に寄与するという性善説的なものの見方もあろう。しかし、私には「良い」機会だった、という「良い」という言葉に強く、したたかな中国側のニュアンスが透けて見えるのだ。

 私はもう自分でも嫌になるほど繰り返してきたが、日本の原子力技術、原発基幹・基礎部品、免震・耐震技術、安全を確保しながらのオペレーション技術、マンパワー等は日本、柏崎の輸出産品だと思うのだ。そうしなければならないと強く主張してきた。

 本当に日本や柏崎のポジションが危うくなりつつあると思う。ハード、ソフト共に技術で稼ぐという視点を大切にして頂きたいと思う。戦略的に組み立て実践して頂きたい。

 「日本はいい国です。柏崎はいいところです」 こんな言葉でニコニコしながらカンペイを繰り返している間に、隣国は遙か遠くを見ているように思えてならない。

薬師丸ひろ子・大竹しのぶ・南果歩

 恥ずかしながら、と書くと失礼に当たるかもしれないが薬師丸ひろ子さんのファンである。昨晩のNHKsongsは彼女だった。

 映画も何だかんだといって「野性の証明」から見ているが、歌のファンなのです。正確に言えば「声」のファンなのです。彼女の声は伸びやかで、透き通っていて、新しいアルバムが出たそうだから買ってきましょう。

 時代は全く違うけれども島倉千代子さんの声の裏返りかたにちょっと似ている感じもするんだよなあ。どさくさ紛れに美空ひばりさんの愛燦燦も好きです。小椋佳さんも好きです。さらに歌手ではありませんが大竹しのぶさんも好きです。演技はもとよりあの独特の雰囲気も。

 大竹さんの連れ合いでいらっしゃった野田秀樹さんとも友人の紹介でお好み焼きを食べながらビールを飲んだこともある。その時大竹ファンであった私は密かに嫉妬していた。無論、薬師丸さんとの関係で言えば玉置浩二など許し難い。

 女優は南果歩さんである。デビュー作「伽椰子のために」を初日、神保町の岩波ホールで観たのだ。本当に美しいヌードを見て、きれいだなあと余韻に酔いしれながら帰ろうとすると南さんが私たちを見送るために出口にいらっしゃる。思わずパンフレットにサインして頂いた。48年生きてきて芸能人と称する人にサインをもらったのはこれっきりである。

 いや、こんな話は恥ずかしいねえ。けれども薬師丸ひろ子の声はどう言うんだろう、何かを導き出す、呼び水的な純粋があるように思うんだよなあ。ダメだ、やめ、また恥ずかしくなる。

2011年3月 8日 (火)

前原さんの間違い

 おかしな話だ。前原外務大臣は辞める必要はなかった。というより辞めてはいけなかった。

 外国人国籍を持つ人からの寄付を受けることを認めよというのではない。無論違法であり、法を犯したことに対するペナルティは必要だ。また加えて外務大臣の地位にあるものはより一層の注意を払わなければならなかった。軽率さも批判されるべきものだろう。

 しかし、昔から家族同様に支持を重ねてきた人の好意を、それが外国籍の方であったからという理由で、外務大臣を辞めるほどの罪だとは思わない。20万円云々という金額は善意の積み重ねたる金額であろう。

 子どもの頃から応援してきた当該の女性のお話を伺えば伺うほどそれは純粋なものだと思われる。前原さんの辞任でこの女性の立場、お気持ちは全く切ないものになってしまた。

 一方、前原さんの辞任については「泥船が沈む前に逃げ出した」「先を考えての保身」だとか言われ、また「潔い」とか「カネと政治についての問題を素直に反省」とか言われるが、私の見方は前者に近い。

 日本の外交を考えたとき、「こんなこと」で放り出して良いものなのか。前原さんの辞任で悪しき前例を作ってしまったとさえ思う。

 厳しく言えば、ご自分の将来と格好良さを考えた、また小沢さんへの当てつけも含めた前原さんの今回の行為は深い洞察と思いやりに欠け、日本の外交を犠牲にした。前原さんがいかに外交を、特に日米関係を大切にしていたかということを考えたとしても、「個人的なこと」で大きなものを犠牲にした行為は批判されるべきである。また、当該在日女性のお気持ちをも踏み台にしてしまった。

 私は前原さんに対し好感を持ち続けていたが、一方、表情のない、笑顔が見えない、笑いを生み出すことが出来ない政治家として心配していた。前原さん、続けるべきだった。泥船に載り、最後までもがき続け、たたかれ続けながらも外交の大切さを訴え、行動するべきだった。そこで生まれるあなたの笑顔やユーモアを私たちは待っていたのに。

 

 

2011年3月 7日 (月)

卒業式の朝

 今日は次男の中学校卒業式。3年間彼の身にも私にも様々なことがあった。彼らしいペースで、彼らしい成長が少しずつではあるが見えてきていると思う。

 3人兄弟の中では一番「考える」子どもだと思う。親として私自身も考えさせられている。

 今朝は焼き肉を食べていた。朝から焼き肉!とビックリするのだが、まあ実は肉食系の草食獣なのだ。彼の能力を発揮出来る領域をいつか見つけてもらいたいと思う。私たちは応援するばかりだ。ずうっと応援する。

 卒業おめでとう。

2011年3月 3日 (木)

一体全体 アト・ランダム

 様々なことが世界で起こり、見るに堪えないことが日本で起こり、聞くに堪えないことが県で起こり、またかというようなことが市で起こり、一体全体。

 昼間は来られたお客様に珈琲を挽き、日本茶を入れ、焙じ茶を炒り、ベルガモットの香りを楽しみ、烏龍茶の一杯目は捨てていた。茶碗、カップを何回も洗い直す。

 夕方からはただひたすら連立方程式の応用問題に取り組み、時制の一致を教え、和歌と俳句の違いは季語・七七の有無、分かったか?とシャレを言い、天気図の見ながら化学反応式を納得させ、警察と検察の違いについてはたまた検非違使と北面の武士について話してあっと言う間に1週間が過ぎていった。

 嬉しいのは遠方の友人たちからのメールである。昨秋行けなかった大学同級会のリベンジ版をわざわざ企画してくれている。ありがとうありがとう。

 中には返事に思い悩むメールもあり、皆様のお気持ちに感謝。

 今朝のロシアRTRがゴルバチョフ元ソ連大統領の80歳誕生日を伝えていた。私は、エリツィンでなく、メドベージェフでなく、もちろんプーチンでなく、ゴルバチョフが良いと思うな。一番最初にやった人だよ。

 先程は胸を打つようなお話も伺った。応援させて頂く。

 慌ただしかった。さて、本当に。

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