原発容認派のモノローグ、エピローグ
今、3月31日、朝である。雨が降り、稲妻が光っている。柏崎では温かな日差しが数日続いたが今朝はその怒りが未だ続いているがごときである。
バベルの塔を思い出す。
私は14年間の市議会議員活動、その後2回の市長選候補者として政治活動を行ってきた。原子力発電に関しては一貫して「容認」の立場で発言をし、行動してきた。核燃料サイクルに伴ういわゆる「プルサーマル」計画にも理解を示し、容認の立場でリードしてきた。リードしてきた。
7年前、そして3年前の市長選にあたっても「産業としての原子力」を訴えてきた。1回目は中越地震直後の選挙であった。2回目は中越沖地震から1年後の選挙であった。2回目の市長選では、「エネルギーと環境」を旗印に、原子力発電に関わる部品製造ならびに耐震補強やプラントのオペレーション技術をも「商品」として柏崎の経済に資するものとしたいと主張した。私は自らのブログをほぼ6年間書き綴ってきたが、今回の東北地方太平洋沖地震が起きる前日、つまり3月10日も原子力技術を柏崎経済と結びつける旨の小論を書いていた。
その翌日、3月11日、東北地方太平洋沖地震が起こった。以来、3週間、次第に明らかとなる余りにも大きな被害、呆然とするような自然の猛威に私は力を失われたかのごとくであった。
私のブログは、「海・山・川で考える」である。浅はかな題名である。自然を愛するがごとき傲慢はその自然によって「格」の違いをまざまざと思い知らされた。不明、という言葉のみが頭の中によぎり、脱力感が支配しつつある自分にそれでも残された意識や意志があるのだと自覚させるのが原発であった。
被災された皆様の悲しみや嘆き、怒りを同じように体感できぬ中で私はそのほんのわずかなところだけであっても想像するしかない。そして、許されている時間的な余裕を報道が流す地震関連、とりわけ原発関連に自らの耳目を集中させてきた。何よりも原発が心配だった。せめてもの私の仕事であった。
正直に言えば、この度の地震においては、12日の爆発の時点で既に原発の運命が見えた様に思えたのだが、この期に及んでまだ、原発の可能性について探る自分がいたことも否めない。もう少し落ち着いてから、と自分に言い聞かせる言葉は自らの感傷を戒める言葉でもあり、自らの臆病を取り繕う言葉でもあったのだ。だが、もう20日が過ぎた。
2005年3月9日から2011年3月10日まで、6年間私が原発に関してブログに書き綴ってきたことをまとめるならば次の三つである。
1,原子力は「容認」するべきエネルギー創出手段である。Co2排出等地球温暖化への対応を考えれば、ベストではないが、燃料電池の実用化、またその他太陽光や風力などいわゆる再生可能エネルギーの現実性と実用性が確保されるまでは、ベター、つまり「次善」として容認するべきである。
2,原子力には潜在的危険がある。よってこれを厳しく規制する姿勢、体制、組織が必要である。原子力安全委員会と原子力安全・保安院を統合し、原子力を専門とする、執行力を伴った原子力規制委員会を作るべきである。
3,柏崎は原子力を産業と考えて行くべきである。原発の増設を求めるのではなく、原発のオペレーション技術、耐震対策、原発の基礎・基幹部品製造をもって柏崎経済のベースとしていくべきである。
「強く、やさしい柏崎」は3年前、私にとって2回目の市長選でのキャッチフレーズであった。原子力技術、環境技術で稼ぎ出し、経済の土台と為し、そのお金を医療や福祉、教育の充実に使うというのが私の考える「柏崎の姿」であった。
しかるに、今回の地震である。敢えて言えば東京電力も国も良くやっていると言っていいだろう。尊大な物言いで恐縮するが、今更に責任を痛感するという原子力安全委員会委員長も総理も東電社長もできる限りのところをやっているのだろう。ただ、それは「想定」の中で組み込まれた、準備された対応でしかない。「想定外」という言葉がいかにも軽く使われるような今回の状況の中では、「想定」をした当事者、つまり国ならびに東京電力の責任は計り知れないほど重い。
私自身も公の立場に身を置いて発言してきた立場であることを鑑みれば一定の責任がある。ここにおいて私は自らの不明を恥じながら、今現在、そして今後について考えていること、感じていることを書き記すことをもって過去への戒めの一つとしたい。そして、私を含め、国民一人1人が今回の事態を深く考え、できうる限りの責任を分担するべきである。
1,今、日本に求められているのは原子力発電の安全施策の抜本的見直しだけではない。エネルギー施策の抜本的見直しである。
2,日本国は今後20年で原子力発電を撤廃する。原子力発電からの撤退と代替エネルギーの開発を宣言し、可及的速やかな、断固たる実行を国が行うべきである。
3,よって核燃料サイクルは行わない。核燃料廃棄物は中間貯蔵施設立地点の青森の許可が得られない以上は一時的にはそれぞれの原発立地点においての貯蔵を考え、最終処分場の選定を国内外において急ぐ。IAEAなどと連動しながらの国際連携による共同処分場構想にも着手するべきである。
4,また、柏崎・刈羽を含め既存の原発立地点においては国ならびに電気事業者の責任で今回の事故から得た教訓を速やかに実施しながら当面電力の供給に協力せざるを得ない。今、既存の原発を止めることは日本経済、ひいては国民の命をも脅かすことになる。誠に皮肉ではあるが発電の継続を認めざるを得ない。
5,再三再四申し上げ、書いてきたことだが、国においては原子力安全・保安院と原子力安全委員会を統合し、経済産業省から独立させ、国家行政組織法第三条に基づく執行力を伴った行政機関、「原子力規制院」として機能させるべきである。
原発立地自治体ならびに議会は上記5項目の実現を国に約束させることを大前提として当面の間の原発の運転を認めざるを得ない。ただ、もとより日本の国策として、原発からの撤退という大項目の中には無論柏崎刈羽を含め、全国の既存原発も含まれる。
①既存の原発においては、津波対策のみならず、あらゆる自然災害を「想像」し、考え得る限りの危険回避、危険軽減施設、システムを構築する。安全対策ではない。
②既存原発立地点は、固定資産税とは全く別の観点から、つまり減価償却という観点からではなく、古くなるものには基本的にリスクが高まるという観点から、経年累進課税を持って、原子力施設危険負担対策税を課す。
③また、使用済み核燃料税に関しては本来原発サイト内にあるべきものではないと言う観点から、同じく経年累進課税を導入し、その税率を上げる。
④津波対策、非常用電源対策も兼ね、各地原発近隣部にLNG火力発電所などの建設を行う。各原発内の使用済み核燃料施設拡充との抜本的な安全施策の確保を図る。
⑤国民がなすべきことは、圧倒的な節電である。計画停電、計画節電、電気料金値上げ、増税を含め拘束力、強制力を伴った消費電力の抑制策である。
以上、国も、東京電力も、柏崎市も、私も、私たちも、様々な思いを抱きながらも、しかし決然と自らの責任を担うことを誓い、前へ進むべきである。人知は自然の下において謙虚であるときのみ機能し得るという冷厳な事実を見据え、日本はエネルギー施策において名誉ある地位を求め進もうではないか。
小説「薔薇の名前」を書いたウンベルト・エーコはこう書いている。
「自作の飛行船に惚れ込むなかれ」
白みはじめた窓の外を見やりながら、ひとまずキーボードから離れることとする。決然と謙虚に。祈りながら、願いながら、恥ずかしながら。