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地震後7ヶ月のブログ

私のつれづれbooks

  • マキアヴェリ 君主論
    決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとするあまり、多くのばあい中立の道を選ぶ。そして、おおかたの君主が滅んでいく。(君主論) 弱体な国家は、常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。(国家論)
  • 奥田英朗 著: 町長選挙

    奥田英朗 著: 町長選挙
    題名が気になるが、ホリエモンやナベツネをモデルにした、ユーモアあふれ、どこかペーソス(哀愁)を感じさせる、人生賛歌?

  • 佐々木 毅著: プラトンの呪縛

    佐々木 毅著: プラトンの呪縛
    民主主義の可能性と限界を考えさせるプラトン。ではいかなる政治が?小泉自民党を支持した私を含む日本国民が慎重に考えなければならない。

  • 土門 拳: 土門拳強く美しいもの

    土門 拳: 土門拳強く美しいもの

  • 日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済

    日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済
    全章興味深いが、第12章 「エネルギーの覇権」:土市勉 は柏崎の方なら必読。僭越ながら、原子力と水素:燃料電池の関連づけは私も浜岡原発の事故の際に思いついた。

  • 村上 龍: 半島を出よ 下

    村上 龍: 半島を出よ 下
     益々さわやかさからは遠ざかる。暴力がテーマ、となると北野武監督になると思うが、村上龍自身監督をつとめた経験もあるのだから、いずれ映画化されるであろう。それを意識して書かれた作品。  北野武が蓮實重彦にその自殺願望を見抜かれたことと同様、気付かれたくない、けれども気付いてもらいたい、落ちていく日本、それに気付かない日本人。実は日本自身に自殺願望があるのだ、それを感じ取ってくれ、との叫びの様にも感じられる。希望は?再生は?さて、・・・・。         

  • 村上 龍: 半島を出よ 上

    村上 龍: 半島を出よ 上
    さわやかな連休には一番ふさわしくない本だが、今の日本人が一番読まなければならないような気がする。読み始めたばかりだが、そう感じた。20年ほど前、同じ村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで唸ったことがあるが、同様にインパクトがある本のように思える。

  • 幸田 真音: 小説ヘッジファンド

    幸田 真音: 小説ヘッジファンド
    4.5年前のものだが、今読むと日本経済、システムがよく分かる。結末は少し出来すぎ。


  • 佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

    佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

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2011年4月

2011年4月27日 (水)

議会ですね

Taranome

(タラの木は太陽を好み、その芽は天ぷらにして美味しく、そしてトゲがある)

 花散らしの雨が降り、市議会議員の選挙が終わった。昨日各議員さんに当選証書が渡されたと報じられている。皆さん、おめでとうございます。

 私自身14年間の議員活動をさせて頂いた中で「これだけは!」と誇れるものがあるとするならば、“雰囲気作り”である。もちろん原発論議を含め真剣な議論をリードしたという自負もあるが、今思い返すに雰囲気作りだったと思う。

 20年前、初当選直後、ゴミ問題の議員連盟を作り「ゴミ議員連盟」と称し、悦に入り、共産党の方や社会党系の方、公明党の方を含め、ゴミ収集車にも分乗し、作業に携わり、その後、分別収集、リサイクルの問題を最先端を行く行政サービスとして組み立てさせた。

 原発問題も先鋭的な原発反対派の議員さんと共に北欧に視察し、スウェーデン、フィンランドで核燃料廃棄物の最終処分場、地層処分場について学んできた。もちろん酒を酌み交わし、激しくもお互いに敬意あふれる議論を行った。トランジットの数時間で原発の無いデンマークエネルギー庁にアポ無しで駆け込み、原発反対派議員の通訳までさせられた。「○○○○、原発のない社会を目指してこれからも頑張ります!おい、これ、桜井通訳しろ!」

 行政改革の問題では同議員とまた同道することになった。全く相反する主義主張、立場である。アメリカ2週間。ホテルはツインルーム、同じ部屋で過ごした。酒の席でも、移動のバスの中でも議論する私たち二人に秋田県の部長さんも札幌の課長さんも松本の課長さんもみな呆れ返り、そしてお褒めの言葉を頂いた。「議会ですね」

 視察先を移動中、レンタカー運転手役の私。「疲れました。珈琲が飲みたいんですけど、公費じゃなくて」

 当局との年末懇親会では、マイクを手に司会。各種グループを編成し、写真撮影を行った。市長はチビグループ、教育長はハゲグループ、寝癖グループもあった。もちろん失礼、非礼なのだが、上回る笑いがあった。よくぞやってくれた、と酒を注がれますます調子に乗って、ムッツリグループを招集しようとしたのだが視線が厳しくなり止めたのである。

 ここ数年、議員さんのお話を伺っていても楽しい話がない。極めつけは「お前らは市長選で負けたんだから」「負けたモンがいつまでごちゃごちゃ言っても負けたんだから」と議会でおもむろに言われるという。主義主張の実現のためではなく、権力の維持にのみ血道を上げているようである。明るさがなく、陰湿である。

 お願いしたい。柏崎市議会が設立に奔走した「全国原子力発電所立地市町村議会議長会」が福島のために、全国の原発立地点の住民のために、大げさではなく日本、世界のために機能しないで何とする。

 柏崎市よ、柏崎市議会よ、リーダーであってほしい。できうるならば勇気あるリーダーであってほしい。笑い声を生み出すリーダーであってほしい。

2011年4月25日 (月)

寺田寅彦の思い

 寺田寅彦の「日本人の自然観」という佳品がある。日本の自然の特異性を書き、島であること、海流から来るところの気候、そして地震について述べている。

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 「地震によって惹起される津波もまたしばしば、おそらく人間の一代に一つか二つぐらいずつは、大八州国(おおやしまのくに)のどこかの浦べを襲って少なからざる人畜家財を蕩尽したようである。
 動かぬもののたとえに引かれるわれわれの足もとの大地が時として大いに震え動く、そういう体験を持ち伝えてきた国民と、そうでない国民が自然というものに対する観念においてかなりに大きな懸隔を示しても不思議はないわけであろう。このように恐ろしい地殻活動の現象はしかし過去において日本の複雑な景観の美を造り上げる原動力となった大規模の地変のかすかな余韻であることを考えると、われわれは現在の大地のおりおりの動揺を特別な目で見直すこともできはしまいかと思われる」

 「このようにわれらの郷土日本においては却下の大地は一方においては深き慈愛をもってわれわれを保有する「母なる土地」であると同時に、またしばしば刑罰の鞭をふるってわれわれのとかく遊情に流れやすい心を引きしめる「厳父」としての役割をも勤めるのである。厳父の厳と慈母の慈との配合よろしきを得た国がらにのみ人間の最高文化が発達する見込みがあるであろう」

 「私は、日本のあらゆる特異性を認識してそれを生かしつつ周囲の環境に適応させることが日本人の使命であり存在理由でありまた世界人類の健全な進歩への寄与であろうとおもうものである。世界から桜の花が消えてしまえば世界はそれだけでやはりさびしくなるのである」

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 昭和十年、1935年に書かれたこの文章は古典であり、今、新しい。

 私は従来の「反原発」「脱原発」とは異なった道で、寺田寅彦の描く世界を実現させるべくささやかな意識を持ち続けたいと改めて思う。

2011年4月23日 (土)

私たち

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 過    

 日々を過ごす
 日々を過つ
 二つは
 一つことか
 生きることは
 そのまま過ちであるかもしれない日々
 「いかが、お過ごしですか」と
 はがきの初めに書いて
 落ちつかない気分になる。
 「あなたはどんな過ちをしていますか」と問い合わせでもするようで -

 吉野弘さんの詩である。「漢字遊び」という章立てのなかの一編である。

2011年4月22日 (金)

責任と勇気、日本とドイツ

 東京電力が社員給与のカットを考えているという。月額給与5%、ボーナス50%で年収にして20%カットを組合側に提案とされている。果たして。

 国会議員は議員歳費を4割カット半年間だという。果たして。

 私は今回の原発事故に関しては第一義的に国、東京電力に責任があり、次にそれを認めてきた私を含め公職にあったもの、公職にあるものに責任があり、そして何だかんだと言いながらもエネルギーを浪費しながらの豊かなライフスタイルを享受してきた現在の私を含む国民全体にも責任があると思う。

 ごく単純に考える。

 国会議員、東電本社管理職年収の3割カット(ボーナスは無し、月額給与で調整)、経営陣退職金返上。国家公務員、地方公務員、東電一般職、議員、同2割(ボーナスは無し、月額給与で調整)。国民1割の所得税増税。(被災地の方は増税無し、一定所得額以下の方は所得税免除)

 ではないだろうか。

 夏場の電力供給改善に目途、と報道され始めている。良いことだ。しかし、私たちは何もしなければすぐにもとのままの何も考えない生活に戻ってしまう。意識を継続させるための方策が求められる。

 「少し変わる勇気」が実は大きなものを目指していることに私たちは気づき、実践していきたいと思う。ドイツのメルケル首相の何と女性らしい、男性らしいことか。彼女を動かしているものがドイツ国民の世論だとするならばそれは勇気と呼ぶにふさわしいものだ。

2011年4月19日 (火)

12年前の原子力、東海村、柏崎

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 今から12年前のことである。この年、9月30日、つまりサミット開催約1月前、東海村で臨界事故が起こった。私はサミット実行委員会事務局長として、急遽内容、次第を全面的に変えた。そして当日、総括しながら宣言文を書き、原発反対派、推進派、容認派議員それぞれと共に夜通しでまとめた。全国から集まった348名の議員によって大きな拍手と共に採択された。長いがご覧頂きたい。国にも、東京電力にも、議員、候補者、政治関係者にも是非ご覧頂きたい。

 議論の経過や結果を聞いて頂きたいと言うことで敢えてとりまとめの閉会式に来賓を招いた。しかし、通商産業大臣、科学技術庁長官は代理出席、祝辞代読ということだったので私はそれを許さず、実際に議論を聞いて頂いた方からの感想を率直に語って頂いた。読まれなかった祝辞はどうなったのか定かではない。

 リーダーたちよ、しっかりして頂きたい。

第2回全国原子力発電所立地議会サミット 宣言

はじめに

 我が国において、原子力の平和利用を求め、初めて原子の灯がともったのは1957年、昭和32年、東海村においてであった。正に原子力の時代が始まろうとしていた。爾来、40年、高度経済成長を遂げ、電力需要が増大する中、経済、また豊かな個人生活を支えるべく原子力発電も大きな役割を果たしてきた。発電手法は時代と共に変遷する事もまた当然であり、最近では環境に優しいと言われる太陽光、風力などの発電にも期待が寄せられている。しかし、これら「新エネルギー」も経済の基盤を受け持つまでには至っていない。いわゆる地球温暖化問題における優位性、また今現在、発電量の約4割を受け持つ事実を見るとき原子力発電は基幹的なものとなっている。

 一方、原子爆弾による世界で唯一の被爆国であるという事実が、原子力に対するイメージを極めて不幸なものとし、海外で繰り返される核実験、スリーマイル、チェルノブイリと続いた大きな事故は、原子力の持つマイナス面での力の大きさを世界に思い知らせるところでもあった。長年に渡る原発反対運動の背景にはその安全性への懐疑、また核燃料廃棄物処分の未解決など根強いものがあり、都度繰り返されるトラブルとそれをさらに増幅させる体制の貧困、閉鎖的体質が批判を受けてきた。

 まさに原子力を巡る「光と陰」「期待感と失望」である。

東海村の事故

 このような環境の中、去る9月30日、我が国にとって「原子力のふるさと」とも言える東海村で最悪の臨界事故が起こった。多くの被曝者を出し、改めて潜在的にある「原子力のリスクJを思い知らされることとなった。原因におけるあまりにもの「ずさんさ」、政府の無策とも言えるチェック体制、防災・医療システムの脆弱さ、長期的な影響が心配される中、私たち関連の自治体議会は、正に我が身のこととして怒り、発言をし、また行動を取ってきた。

私たちの議論

原子力問題における当議長会、議会の意義、役割は大きい。賛成、反対、容認、否定など、両論あるところに重要性がある。議会は地域住民を代表し、安全の確保、生活の安定向上、地域の振興などそれぞれ見地に立って議論を行う。国には異なる意見が屹立する議会の議論に真摯に耳を傾けてもらいたい。

 以下に示す相違点、また一致点は議会の健全な姿であり、地域住民の率直な声である。特に、異なる立場の人間が論議し、見出した一致点は住民全ての願いであり、国民全ての考えである。国には速やかに実行をしていただきたい。

相 違 点

核燃料サイクルの実現性、意義、バックエンド対策、プルサーマル計画の実効性、安全性、国民的課題における住民投票の位置づけ、今後における原子力のあり方についてはそれぞれ意見が分かれた。

一 致 点

1 原子力安全委員会の抜本的な見直しを行うこと。原子力のリスクを認識した中立的チェック機 関として独立させ、質量共に充実した、強い執行権限を持つ組織へ早急に改組すること。

1 原子力関連機関への調査、査察に実効性を持たせ、抜き打ち調査の実施、また違反時には重大 なペナルティを課すなど厳しい態度で臨むこと。

1 防災体制においては、国が全面的な責任を受け持ち、緊急時には現地に対策本部を立ち上げ、 現場での指揮命令系統に即時的な実行権限を持たせること。

1 現場、地元の意見を尊重する中で、防災センターを配置し、防災専門官の常駐、防災資機材の 配備、医療体制の整備を行うこと。

1 原発立地点における電気料金の大幅な割引、既存の地元企業を大切にした産業支援策を確立し、 実感を伴う恒久的振興策を実現すること。

1 原発立地自治体財政の安定強化を図り、三法交付金の運用は各自治体の自主性に任せること。


1 長期発展対策交付金の単価アップ、核燃料税の立地自治体への優先配分など法整備を行うこと。

1 情報公開を完全に行い、国民への周知、広範な論議に資すること。

1 原子力に関する教育機会を圧倒的に増大させること。

1 電力生産地、消費地がお互いの役割を公平に自覚し、「電気のありがたさ」を容易に、また日常的に意識しうる広報、施策、人的交流などを実現させること。

結 び に

 再度、私たちは訴える。私たちは認める立場、また批判する立場、問わず日々原子力施設とともに生活している。対峠している。エネルギー論議を真に国民的課題とし、常に国民一人一一人がその責任を自覚しうるシステムの構築を求めるものである。日本という国の信頼をも失った、今回の東海村での事故 を契機として、原子力行政を謙虚に見直し、原子力施設と共存している私たち地元の労苦が、議論が本 当の意味で報われるような社会であってもらいたい。私たち議会は今後も、常に、積極的に発言し、幅広い議論を行う中でその職責を果たしていくことを改めて宣言するものである。

1999年(平成11年)11月16日

第2回全国原子力発電所.立地議会サミット参加者・一同

 

2011年4月16日 (土)

ディズニーランドと女子美ワンゲル部

 東京ディズニーランドが震災後再び開園したとのニュースで、1万人もの客が列をなしたと各社で報道されている。なるほどねえ、改めてすごい人気なんだなあと感心する。基本的に明るい話題で良いことだ。

 かくいう私はディズニーランドに1回しか行ったことがないという強者である。それも25年前。

 「今月のワンゲル部の活動はディズニーランドにします」
 「賛成!」{賛成!」
 「オイ、ちょっと待った。何でワンゲルがディズニーランドなんだ?」と顧問の私。
 「だいたい、おかしいだろワンゲルが・・・・・」と相変わらず私。
 「けど、ビッグサンダーマウンテンもあるし・・・」と生徒。
 「決定!決定!先生、欠席!」
 「ちょっと待て、ちょっと」
 「ハイ、解散、解散」

 かくして私は一生の不覚、ディズニーランドの客となったのであった。事後、活動報告書を上司に提出すると、「君ねえ・・・・」「おっしゃるとおりです」、でもちゃんと交通費も部活動手当も付けて頂いた。本当に良い学校だったなあ、女子美附属。

 以後、私はディズニーランドに縁遠い夢なき男となったのである。山男の意地ってもんである。よく分からないけど。

 

 

2011年4月12日 (火)

寺島実郎氏に伺い、西田厚聰氏に伺いたい

 何も変わらない状況に私が嘆息しても仕方ないことかもしれぬが、それでも、と思う。

 今朝の新潟日報、配信は共同かな、「復興、防災・・・日本はどこへ」識者座談会は日本総研理事長寺島実郎氏、防災化学技研理事長岡田義光氏、解剖学者養老孟司氏、三者によるものであった。

 寺島氏の発言は経済の領域に身を置かれている方からのものとしては出色であった。

 東日本大震災をどう位置づけているか。

 「日本の近代史の大きな転換点、日本のパラダイム転換を迫る大きな出来事だったとやがて総括されるだろう。原発問題が一番重い。日本の地域の自然災害という次元を超え、文明が問われる大きな問題となり、世界が震撼した。
 われわれが一人の生身の人間ではおよそコントロールできないようなシステムに身を委ねて生きているのだとあらためて思い知らされた。
 原発の多重防御一つでもなぜ機能しなかったか。教訓として残すだけでなく、世界に向けて正しく説明し、不安を増幅させないようにする責任をわれわれは負っている。」

 原発事故はどうか。

 「本質的な議論がなされなければいけないのは、そもそもこの国にとって原子力が必要かどうかだ。
 仮に日本が原子力を放棄するとしても、中国や韓国など、近隣に原発ができていくということは間違いない。だから、日本に原子力の平和利用を安全に維持する技術と専門家を蓄積していかなければならない。技術の蓄積がなければ、国際社会で発言力もなく、日本が貢献したり、役割を果たす地盤を失っていく。
 原子力を推進すべきだとは少しも思わないが、今回の教訓を踏まえて原子力をより責任ある体制で、どうやっていったらいいのかという知恵を絞り出さなければいけない。」

 エネルギー政策の在り方は。

 「エネルギーの問題は、覚悟の問題だ。いまの生活や社会システムを前提に、エネルギーのシステムを変えるという議論はあり得ない。人間の在り方そのものが問われている。単なる経済の問題ではなく、分配とか我慢という領域につながってくる。束ねたり、我慢したり、方向付けるために、リーダーのメッセージが大事だ。」

 そう、何度も書いてきたように人間の意識、哲学の領域である。宗教の領域であるかもしれない。経済の問題に矮小化してこの問題を解決しようと試みるとき、日本は後世の人類に笑われる。

 辛いが東芝の西田会長の見解を伺いたい。思想史を学ばれた碩学で、かつウェスティングハウスを買収し、原子力部門を大きな柱として据えた企業戦略の実践者でいらっしゃる。私が今も最も見識、良識ある企業経営者として信じている方である。

 西田氏はかつて「慧敏」という言葉を使っていらっしゃった。「知恵を持ち、利口で、すばやく反応すること」という意味と伺った。心苦しいが是非西田厚聰氏に伺いたいのである。

2011年4月11日 (月)

想像力と人ごと

 想像力が必要だと思うのだが、想像力を養うためにはどうしたらよいのだろうか。私を含めより多くの人が、より多くを想像しないといけない事態、状況ではないのだろうか。既に人ごとになりつつあるように思う。私の思い過ごしなのだろうか。

2011年4月 8日 (金)

次の時代に。いまこそ「少し変わる勇気」

 水をかける、その水を止めるために紙おむつに使われている高分子ポリマーの使用、流れを確認するために入浴剤の使用。科学技術、人知を尽くしたと思われるものに水をかけるというごく単純な行為。尊い命を賭してまで。おむつ、入浴剤。

 象徴的なことである。原子力発電所の存在を今後どのように考えていくかは私たち自身が一種覚悟を決めなければならないことだ。

 昨日の朝日11面、オピニオン。大阪大学名誉教授川北稔氏が歴史家の視点で私たちに示唆を与えている。

 「近代とは、経済成長を前提とした時代です。・・・・この成長を裏打ちしたのが、地理的な拡大と科学技術の発展でした。・・・・科学技術は経済成長を裏打ちする『魔法の杖』でした。自然の脅威から我々の生命や財産を守ってくれるのも科学技術でした。ところが今回、それがいっぺんに揺らいでしまいました」

 歴史の流れを紐解きながら、かつて西ヨーロッパで繁栄を極めたポルトガル、スペインの例に、その後のオランダ、イギリス、さらにはアメリカ、そして日本と辿ってきた「世界システム」を紹介している。

 18世紀半ばにはポルトガルの首都リスボンを大地震と津波が襲い、人口の三分の一が亡くなったという。国力が衰え始めたときの自然災害。

 「たしかに日本は、かつてのポルトガルのようになるのかもしれません。・・・・・ただし、それが不幸かというと、話は別です。・・・・・現在のポルトガルを見てください。むしろ、ある意味で安定し、人々は幸せな人生を送っているのではないでしょうか。もっともそれを『安定』と受け止めるためには、我々の価値観、メンタルな部分が変わる必要があります」

 紙面をまとめた編集委員・刀祢館正明氏は「我々は次の時代に入ったのでは」と川北氏に問う。「いま考えていたところです」と川北氏の答え。

 科学技術を生み出す人間の基礎、哲学、信仰、認識。私たち1人1人がほんの少し考え、それを継続するべく意識することだ。リーダーの役割はそれを喚起することにつきる。

2011年4月 5日 (火)

グスコーブドリ・寺田寅彦・嶋基宏

 柏崎は美しい春の日だ。清明。

 未だ見通しも付かないなか、改めて不条理にも尊い命を奪われた皆様のご冥福をお祈りし、被災された皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

 この春の日差しが何人にも降り注ぎ、一時心穏やかなものとならんことを願う。

 私が今回の震災に関する新聞、テレビ報道の中でいくつか共有できたものがあった。

 一つは宮沢賢治の「グスコーブドリの伝記」であった。朝日が紹介していた。火山局の技師であるグスコーブドリは冷害に苦しむイーハトーブの人々のために自らを犠牲にして火山を爆発させ、解決を図るという物語である。

 今も、最前線で難儀されている方々に忘れず感謝を抱き続けたい。

 もう一つは、寺田寅彦。これはどの新聞だっただろうか、、いわゆる「天災は忘れた頃に・・・」という脈絡で使われたのだと思う。きっかけとして「寺田寅彦随筆集」をパラパラとめくってみた。ページを折ってあった箇所を少し長いが引用したい。

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 頭がよくて、そうして、自分を頭がいいと思い利口だと思う人は先生にはなれても科学者にはなれない。人間の頭の力の限界を自覚して大自然の前に愚かな赤裸の自分を投げ出し、そうしてただ大自然の直接の教えにのみ傾聴する覚悟があって、初めて科学者にはなれるのである。しかしそれだけでは科学者にはなれない事ももちろんである。やはり観察と分析と推理の正確周到を必要とするのは言うまでもないことである。

 つまり、頭が悪いと同時に頭がよくなくてはならないのである。

 この事実に対する認識の不足が、科学の正常なる進歩を阻害する場合がしばしばある。これは科学にたずさわるほどの人々の慎重な省察を要することと思われる。

 最後にもう一つ、頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。これもわかりきったことのようであってしばしば忘られがちなことであり、そうして忘れてならないことの一つであろうと思われる。

 この老科学者の世迷い言を読んで不快に感ずる人はきっとうらやむべきすぐれた頭のいい学者であろう。またこれを読んで会心の笑みをもらす人は、またきっとうらやむべく頭の悪い立派な科学者であろう。これを読んで何事をも考えない人はおそらく科学の世界に縁のない科学教育者か科学商人の類であろうと思われる。(寺田寅彦「科学者とあたま」昭和8年10月)

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 最後にもう一つは、楽天イーグルス嶋基宏選手会長の挨拶。自分の思いを、自分の考えで、自分の言葉にしていた。立派だった。以下、全文である。

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 あの大災害は本当だったのか…、今でも信じられません…。

 僕たちの本拠地でもあり、住んでいる仙台、東北が今回の地震、津波で大きな被害を受けました…。

 地震を受けた時、僕たちは兵庫県で試合をしていました…。

 家がある仙台にはまだ1回も帰れず、横浜、名古屋、神戸、博多、そしてこの札幌など全国各地を転々としています。

 先日、神戸で募金活動をした時に、

「前は私たちが助けられたから、今回は私たちが助ける」

 と声をかけてくださいました。

 今、日本中が東北、そして震災を受けた方々を応援し、全力で支え合おうとしています。

 震災を受けてから、眠れない日々が続きましたが、選手みんなで「自分達には何ができるのか?」「自分達は何をしたらいいか」を話し合い、考え抜いてきました。

 今、スポーツの域を超えて「野球の真価」が問われていると思います。

 見せましょう、野球の底力を。

 見せましょう、野球選手の底力を。

 見せましょう、野球ファンの底力を。

 共に頑張ろう東北!

 支え合おうニッポン!

 僕たちも野球の底力を信じて、精いっぱいプレーします。

 被災地への支援宜しくお願いします。(4月2日札幌ドーム)(http://www.rakuteneagles.jp/news/detail/1189.html

 ****************************

 首相も知事も市長も議長も、リーダーよ。

 思いを込めた、冷静で、やさしい、かつ確固たる言葉を語って頂きたい。

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