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地震後7ヶ月のブログ

私のつれづれbooks

  • マキアヴェリ 君主論
    決断力のない君主は、当面の危機を回避しようとするあまり、多くのばあい中立の道を選ぶ。そして、おおかたの君主が滅んでいく。(君主論) 弱体な国家は、常に優柔不断である。そして決断に手間どることは、これまた常に有害である。(国家論)
  • 奥田英朗 著: 町長選挙

    奥田英朗 著: 町長選挙
    題名が気になるが、ホリエモンやナベツネをモデルにした、ユーモアあふれ、どこかペーソス(哀愁)を感じさせる、人生賛歌?

  • 佐々木 毅著: プラトンの呪縛

    佐々木 毅著: プラトンの呪縛
    民主主義の可能性と限界を考えさせるプラトン。ではいかなる政治が?小泉自民党を支持した私を含む日本国民が慎重に考えなければならない。

  • 土門 拳: 土門拳強く美しいもの

    土門 拳: 土門拳強く美しいもの

  • 日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済

    日本経済新聞社: 歴史から読む現代経済
    全章興味深いが、第12章 「エネルギーの覇権」:土市勉 は柏崎の方なら必読。僭越ながら、原子力と水素:燃料電池の関連づけは私も浜岡原発の事故の際に思いついた。

  • 村上 龍: 半島を出よ 下

    村上 龍: 半島を出よ 下
     益々さわやかさからは遠ざかる。暴力がテーマ、となると北野武監督になると思うが、村上龍自身監督をつとめた経験もあるのだから、いずれ映画化されるであろう。それを意識して書かれた作品。  北野武が蓮實重彦にその自殺願望を見抜かれたことと同様、気付かれたくない、けれども気付いてもらいたい、落ちていく日本、それに気付かない日本人。実は日本自身に自殺願望があるのだ、それを感じ取ってくれ、との叫びの様にも感じられる。希望は?再生は?さて、・・・・。         

  • 村上 龍: 半島を出よ 上

    村上 龍: 半島を出よ 上
    さわやかな連休には一番ふさわしくない本だが、今の日本人が一番読まなければならないような気がする。読み始めたばかりだが、そう感じた。20年ほど前、同じ村上龍の「愛と幻想のファシズム」を読んで唸ったことがあるが、同様にインパクトがある本のように思える。

  • 幸田 真音: 小説ヘッジファンド

    幸田 真音: 小説ヘッジファンド
    4.5年前のものだが、今読むと日本経済、システムがよく分かる。結末は少し出来すぎ。


  • 佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

    佐伯 啓思著: 「市民」とは誰か(PHP新書 022)

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2011年5月

2011年5月31日 (火)

原発全廃、ドイツ、フランス、日本

 ドイツの2022年までの原発全廃決定がどのように伝わるのだろうかと今朝のNHKBSを見た。ドイツZDFとフランス2が続けて報じられた。

 まずはドイツZDF(日本時間2時)。

 「ドイツの壮大な挑戦です」メルケル首相の言葉である。

 与党の決定は野党社民党等も基本的には歓迎しているが、グリーンピースはもっと早い時期の撤退が可能だと述べている。宗教関係者まで含まれた倫理委員会なるものがメルケル首相に原発全廃の方向性を答申している。宗教関係者が政府の諮問委員会に含まれているのがドイツらしいというかヨーロッパらしい。基本的にキリスト教の国である。(追記)確かに宗教や哲学の問題かもしれない。

 電力会社、ならびに経済団体は政府の決定を慎重に分析している。また、エコノミストの「原発全廃による電力料金の値上げは緩やかなものであり、受け入れやすいものとなるだろう」というコメントを紹介している。含めドイツ国民の圧倒的な世論というところが印象的であった。

 フランス2(日本時間3時)は、ドイツの決定は国民世論の原発撤廃への圧力によるものであり、それを反映した地方選挙を含めた選挙結果をふまえたものである、とまず伝えている。また、今後は、現在22,23%を占める原発による電力分を節電と石炭火力、風力発電の増強によってまかない、またフランス等からの輸入増によって対応することを伝えている。もちろん、フランスは電力のほとんどを原発によって作っていることをも忘れず伝えている。エスプリの国である。

 また、「フクシマ」後の世界各国の原発政策の分析に移り、ヨーロッパはフランス、イギリスなどは依然推進、ドイツ、スイスは撤退、イタリア、ベルギー、スペインは様子見。104基の原発を抱える世界第一のアメリカはオバマ大統領の推進号令にも関わらず、あまり進捗はなく、中国はこれからエネルギーの需要増により原発推進は既成の事実と報じた。

 さて、日本について、(私の聞き間違いでなければ)、(アナウンサー)「驚いたことに」という枕詞をつけて、「フクシマ後も『原発無くして日本のエネルギー政策は成り立たない』と日本の首相は話している」と伝えた。

 菅首相という固有名詞は使われなかった。島国「日本の首相」である。

2011年5月30日 (月)

極めて細いが極めて強い光

Rembradt_2 

 レンブラントで韻をふまなくてもいいんじゃない、と山手線の中吊り広告に独り言をつぶやいてから1週間が経った。駄洒落を専門とする私だがちょっとこのコピーには違和感が残った。

 展覧会そのものは非常に良かった。大賑わいであったが、それは仕方ない。昔から「光と影の魔術師」と呼ばれているレンブラントを今回はエッチングを含め見てきた。 油が少ないように思ったのだが、久しぶりのレンブラントを堪能できた。

 私はいつものことだがざあっと全体の構成を見ながら早足で最後まで見る。そしてまた戻り、自分ながらのポイントポイントでゆっくり見る、というパターンである。完全な一方通行である場合もあるのだが、今回もこのパターンで見ることができた。

 何回か立ち戻った絵は「アトリエの画家」というものである。アトリエに佇む画家がカンバスに対峙している。左手に筆立てを持ち、右手には一本の筆を持ちながらカンバスを見つめる画家。光は左斜め後方から当たっている。イーゼルに85度の角度で載せられたカンバスの右の縁が、極めて細いが極めて強い白で描かれている。光だ。描かれたのは幅にしてほんの1,2ミリの光である。絵のほぼ中央に位置するこのハイライトこそレンブラントの持ち味なのだろう。

 ハイライトが欲しい。

2011年5月27日 (金)

開いた口が・・・

 東京電力福島第一原発の海水注入が中断されていなかった問題について、閣僚から27日午前の閣議後の記者会見で発言が相次いだ。

 海江田万里経済産業相は「経済産業省原子力安全・保安院に虚偽の報告がされたので、どうして虚偽報告がされたか今後調べたい」と述べ、一連の経緯を調査する考えを表明した。 (朝日)

 全く何が虚偽報告なんだろうか。政府が虚ろで、実体がはっきりせず、判断能力を有していないからではないか。アンポンタン!
                                                                                                         
 菅首相、G8なんて恥ずかしい。帰ってきて頂きたい。原子力安全委員長、「私は何だったんでしょう」?いい加減にしてもらいたい!
                                                             
 福島第一の最前線、ギリギリの現場で奮闘される所長はじめ職員に最大限の敬意を払う。そして、誠に残念ながら日本という国に原子力を扱う資格など無いことが改めて明確になった。アメリカ、フランスなど核兵器を持つ国のみがイザというときの対応が可能なのでは無いだろうか。それは命のやりとりを日常的に意識せざるを得ない緊張感があるからなのだろう。(一応書いておくが、日本に核兵器など必要ない。間違ってスイッチ押しちゃうわ)

 日本は世界から笑われている。

2011年5月26日 (木)

相変わらずですが、それでも少し

 中学生も高校生もそれぞれ3年生が部活動最後の活躍を誓う季節となってきた。地区大会から県大会、北信越、全国、インターハイと続く。

 私自身は小学校、中学校の頃陸上部、高校では山岳部に所属しながらも実績を残したトップアスリートではなかった。だからゆえに子どもたちの部活動には出来る限りの支援と応援をしているつもりである。いわゆる「青春の汗」を追い求めてもらいたいのだ。

 女房から聞いたところによると我が家の運動エース次男は高校で本当に山岳部を考えたらしい。「けど、お父さんが山岳部はヤメロって言ったから」と、野球からハンドボールに転身したらしい。小学校3年から続けた野球にも大いに未練もあったが、新しい領域でトップを目指したいとの決意らしい。

 私はその話を聞いて少し嬉しくなった。彼が小さな頃から、本当に小さな頃から長男と共に山に連れて行った。地元の米山など2歳か3歳の頃だったと思う。北アルプスも八ヶ岳も。谷川も。立山など70Lの大きなアタックザックに入れ、顔を出させ、逆カンガルー状態?で連れて行ったこともある。けれどもその時は一番嫌々ながら登っているように見えたし、実際そうだったのだろう。

 三つ子の魂、というがそれから10年が経ち、選択肢の一つとして考えてくれただけでも私は幸せだった。私が山岳部をやめろと言ったのは彼の運動能力を発揮する領域としては「もったいない」と言うことだったのだ。

 昨夜は中間テストの答案が置いてあった。57点とか43点である。自分から答案を置いていったのは開闢以来初めてである。「高校では赤点を取らない」との誓いを示したものなのだろう。彼なりに前に進んでいる。

2011年5月24日 (火)

サンタ・ルチア

 余りにも余りにもなんで山に車を走らせ、窓全部空けて、サンタルチア(イタリア語)、あなた(小坂明子)歌ってきた。爽快!

 なんでサンタルチア?あなた?知りません。

 今調べたら、サンタルチアって、「Sul mare luccica l'astro d'argen 輝く海に 銀の星・・・」で始まり、聖ルチア:光の女神なんだって。じゃあ、谷根で歌ってちょうど良かったんだ。さて、仕事仕事。

疑問と笑止

 知らなかったのだから、仕方ない、というニュアンスなのだろうか。

 菅首相は「メルトダウン(炉心溶融)について、15日に東京電力が発表するまで事実関係を把握していなかったことを明らかにした」(日経)

 「注水の時もやめる時点も、直接報告はあがっていなかった。やめろとかやめるなとか言うはずもない」(朝日)

 一国の首相が、大事に当たって情報から遠くにあり、部下分隊、東電は首相の懸念を斟酌しての行為なのだろうか。

 G8(Group of Eight)に参加する資格などあるのだろうか。サミット。山頂にいらっしゃるのだろうか。遠くを見ているのだろうか。

 原発立地市町村のの議会サミット。「来秋」に開かれるという。来年の秋に開いて一体全体何を決めるのだろうか。1年半後に開いて何を組み立てるのだろうか。「来週」の誤植なのだろうか。笑止。

 長岡の花火「不死鳥フェニックス」が8月、石巻の夜空に舞うという。鎮魂の願いを込め。もちろん今年の8月である。

 柏崎は福島の方々のために何をしようとしているのだ。全国の原発立地点をどのようにリードしようとしているのだ。自分の土地を離れ、家族と離れ、仕事を奪われ、その嘆きや悲しみ、不安や不信。それらを一番共有し、原子力規制や今後のエネルギー政策と地域振興について組み立てて行くリーダーこそ柏崎に求められている役割ではないのか。 

2011年5月23日 (月)

燃料補給終了

 

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 何年ぶりかで本当に楽しい時間を過ごしてきた。東京。

 大学の同級会があり、47,48,49歳の中中男女は、丸みが出て、相変わらずで、それでも一瞬にして学生時代に戻った。6時間、何をしゃべったのか覚えていない。楽しかったという記憶だけが残っている。たぶん酔っぱらっていたのだろう。

 元元女の子(以下、面倒だから女の子)たちも、きれいだった。優しかった。たぶん酔っぱらっていたのだろう。

 みんなそれぞれの過程を経て、様々な思いを持って過ごしてきている。正に吉野弘の詩のごとく、「過ち」をおかしているかもしれない。成功体験も失敗体験も、期待も失望も、みんなそれぞれだ。それでも楽しい時間を共有できるというのは斎藤佑樹じゃないけれども「仲間」だね。

 特に、幹事君、ありがとう。また、海山川の物資を送るよ。

 同級会の日の午前、上野の国立近代美術館でレンブラント展を、翌日の午前、白銀台の庭園美術館を見てきた。企画展「森と芸術」 両方ともすばらしかったが、私にとっては庭園美術館がやはり一番だ。昔は日曜の午前、芝生の広場でバイオリン、チェロなど弦楽クインテッドの演奏があったんだよなあ。いずれにせよ庭園美術館はその企画力といい、センスといい、無論全体の雰囲気も含め私にとってNo.1である。

 午後は庭園美術館から神宮球場へ。明治-法政戦。明治に教え子がいるのですよ。まだ控えなのだがベンチ入りし、背番号をもらってグランドでキャッチボールをしていた。グッと来たなあ。最終回、雨が本格的になり、雨天コールド。(たった今、その明治の彼からメール。スタンドの私を見つけてくれていた。声をかけたわけじゃないのに。ウーン。いつまでも応援するぞ)

 東京での2日間の締めは雨。まあ、こんなものでしょう。

 帰りの新幹線でもらった女の子からのメール「またいつもの立ち位置に戻って頑張らなくっちゃ」 そうだね、また頑張ろう。

 

2011年5月18日 (水)

しのぎながら、我慢しながら、決然と、明るく、「超原発」を目指そうではないか

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 朝のBS1を見ていたらドイツZDFが流れていた。改めての脱原発を宣言したドイツも苦闘している様が伺えた。ドイツ国内の原発の総点検を原発「安全」機関が行い、その結果を報じていた。原発サイト内に入らない調査点検の物足りなさを指摘し、航空機事故における原発格納容器の安全性の低さを伝え、かつ脱原発に向けた取り組みが困難であることをも訴えようとする当局の姿も映し出された。

 そうであろう。困難である。けれども、日本はその道を進まなければならないと思う。私が掲げた20年という数字はいい加減なものではない。徐々に、しかし確実に「超原発」に向け進むというのが私の考えである。

 原発を「超える」のである。「超原発」という言葉があったのか使われたのか分からない。「脱」よりも前向きなメッセージを持たせたつもりである。発電技術、蓄電技術、節電技術に日本の人材を、技術を、そしてお金を投入しなければならない。 

 その後の番組はデンマークにおける風力発電やバイオマス発電の実態についてであった。デンマークのことは本ブログでも何回も書いている。しかし、農業国であるデンマークと工業国である日本の違いもある。報道においても単純な比較をすべきではない。

 東電が福島第一原発事故収束に向けた工程表の改訂版を発表した。なぜ、国の名前での発表ではないのか。どう考えても発表された工程表では無理でしょう。鳩山前首相の「最低でも県外」という発言が思い出される。「年明けまでに」という菅首相の発言に合わせた内容であり、かつそれを国の発表ではなく東電の名でやらせるという姑息さ。日経でも指摘があったが、この期に及んで、国は東電に責任を押しつけようとしている。

 東電も東電である。炉心溶融、メルトダウン、メルトスルーという言葉が1号機のみならず、2号機、3号機にも使われ始めている今、本部長たる副社長武藤氏の発言はあまりにも無責任である。

 「ほぼ考えていた通りに進んでいる」(朝日)
 「炉心溶融は工程表に影響しない」(日経)

 これまた国の圧力があるのだとしたらさらに噴飯ものである。

 今まで通りではいけない。日本も、東電も、柏崎も、政治の世界も、経済の世界も、私たちも。

 ドイツを良きライバルとし、地震国日本が総力を挙げて、「万葉」「古今」の世界を受け継いできた日本が、四季に感性を磨き上げてきた日本が、工業国日本が、自然と優しくつきあえるエネルギー技術をリードしようではないか。もうかりまっせ!

2011年5月12日 (木)

鐘の鳴る丘「とんがり帽子」に学ぼう

 私同様腹を立てている方がいらっしゃるのは心強い。櫻井よしこ氏である。昨日、5月12日付産経「浜岡停止要請の根拠」で書いていらっしゃる。

 全く違う話のようだが、今の日本が思い起こし、想像しなければならない心象風景がある。終戦直後のラジオドラマ「鐘の鳴る丘」テーマ曲「とんがり帽子」である。戦争で両親を失った子どもたちの将来、未来を明るく、力強く励ます歌である。菊田一夫氏の詞がすばらしい。1947(昭和22)年のものである。

 政治家たるもの私心を捨て、覚悟を伴った大きな構想を、軽快に、明るく、力強くリードして頂きたい。

                                                                                                                                                                                                                            

   とんがり帽子   作詞:菊田一夫 作曲:古関裕而   


  (一)
   緑の丘の 赤い屋根
   とんがり帽子の 時計台
   鐘が鳴ります キンコンカン
   メイメイ小山羊も ないてます
   風がそよそよ 丘の上

   黄色いお窓は おいらの家よ

  (二)
   
緑の丘の 麦畑
   おいらが一人で いるときに
   
鐘が鳴ります キンコンカン
   鳴る鳴る鐘は 父母の
   元気でいろよと 言う声よ
   口笛吹いて おいらは元気

  (三)
   
とんがり帽子の 時計台
   夜になったら 星が出る
   
鐘が鳴ります キンコンカン
   おいらは帰る 屋根の下
   父さん母さん いないけど
   丘のあの窓 おいらの家よ

  (四)
   おやすみなさい 空の星
   おやすみなさい 仲間たち
   
鐘が鳴ります キンコンカン
   昨日にまさる 今日よりも
   明日はもっと しあわせに
   みんな仲良く おやすみなさい

 滝野細道という方のホームページにつながると古関裕而氏の軽快なメロディも楽しめる。滝野さん、ありがとうございます。

 

2011年5月11日 (水)

1人1人が顔を洗って根本論議を。

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 昨日、5月10日政府・福島原子力発電所事故対策統合本部(本部長:菅直人首相)が発表したものを、日経が今朝掲載した。

 確かに浜岡の高さは突出している。同時に「福島第一」で震度6強以上の地震が起こる確率は今年1月1日を算定基準日として「0.0%」であった。

 しかし、ちょうど2ヶ月前、3月11日、日本での観測史上最大マグニチュード9.0、最大震度7の地震が起きた。

 菅首相が言う根拠が根拠たり得ないことを自ら証明している。記事はこう結ばれている。

 「島崎邦彦・地震予知連絡会会長は『浜岡より先に他の原発で地震が起きる確率もある』と指摘する」

 

2011年5月10日 (火)

鐘が鳴る鳴る♪・・・♪

 本日、日本経済新聞3面、編集委員・滝順一氏の記名記事である。見出しは「原子力政策 展望示さず」であった。

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 「政府が安全確保への丁寧な説明を欠き原子力政策の展望も示さぬままで、本当の信頼回復につながるのだろうか」

 「ことの経緯から、浜岡停止は他の原発の運転容認との引き換えと受け取られかねない。しかも防潮堤などが完成すれば浜岡の運転再開を認めるとの言質さえ与えた。客観的なデータと科学に基づくリスク評価なしで、なれ合いの印象を与えては国際社会も納得しないだろう」

 「政権担当者として明確な方向性を打ち出して国民的な議論を喚起すべきだろう。それがリーダーシップではないか」

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 本当にその通りである。国際社会に笑われる。鳴る鐘の音は残念ながらキン・コン・カン♪ではない。トン・チン・菅、はどのように英訳すればよいのだろうか。

 追記:菊田一夫氏作詞による名曲「とんがり帽子」は「鐘が鳴ります キンコンカン」です。(2011.5.11)

法治国家化か?放置国家か?

 おかしいと思うよ。

 中部電力は菅首相の“要請”を受け入れ、浜岡原発を全号機停止するという。但し、「3~5号機については、防波壁の設置完了などの津波対策を講じれば運転再開を認めると海江田万里経済産業相から確約を得た」(毎日)という。

 地震国日本という現実をまざまざと、そして原子力災害の現実を峻烈な印象を持って見せられた私たち。現在も最前線、過酷な労働条件の下、命がけの作業を続けて頂いている。

 そんな中、日本国政府は法に依らず、長期的なビジョンも方向性も示さぬまま、重大な決定を行った。それを放置しているがごとき私たち。そして、2年後、防潮堤等が出来、国の審査を通れば、30年以内に87%の確率で起こると首相自らが停止要請の根拠として語った巨大地震発生予定地域で、原発の再稼働が認められるという。

 国の審査!国の評価!ナンセンスではないか。全く無念である。全く。

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 日本経団連の米倉弘昌会長は9日の記者会見で、菅首相が中部電力の浜岡原子力発電所の運転停止を要請したことについて、「思考の過程がブラックボックスだ。政治の態度を疑う」と述べ、政府での検討過程を明らかにしないまま停止を要請したことを「政治的なパフォーマンスだ」と批判した。(読売)

 

 川崎市の阿部孝夫市長は九日の定例会見で、菅直人首相が中部電力に浜岡原発(静岡県)の運転停止を要請したことについて「(運転停止による影響を)事前にある程度、見通しを立てて判断するべきではなかったのか」と述べ、政府の対応を疑問視する姿勢を示した。

 阿部市長は政府の思惑を「『総理からの要請だから中電は断れない』という考え方だと思う」と分析。「急にということになると夏場の電力をどうするんだとか、産業に影響してくる」と述べ、要請には慎重な検討が必要だったとの見解を示した。

 原発そのものについては「現実問題として、原発があることが前提として社会が組み立てられていて、原発は必要だが、人間が原発のような危険なものを管理しきれるのか、不安がある。原発に頼らない発電システムを強化していくことが大事だ」と話した。(東京)

 

 (中部電力)水野明久社長が記者会見し、運転停止を発表した。「長期的には、いったん停止し、さらなる安全対策をとった上で運転再開することがお客様、株主にとって利益があると、取締役の意見が一致した」と述べた。

 水野社長は8日に海江田万里経済産業相と電話会談した。そのなかで、防潮堤建設などの津波対策を終え、経産省原子力安全・保安院の評価を得た時には全面再開できることなど5項目を確認した。停止に伴う火力発電所の燃料費増加負担に対して国が支援することも含まれている。中部電は2~3年はかかるという防潮堤建設を急ぐ。

 中部電の発電電力量に占める浜岡原発の比率は2010年度実績で約15%。これを埋め合わせるため、今後、停止中の武豊(たけとよ)火力発電所(愛知県武豊町)3号機を急きょ稼働させ、東京電力や東北電力への融通をとりやめる。(朝日)

 

2011年5月 7日 (土)

原子力行政は法に依拠するべし。立法府に期待。

 菅首相の浜岡原発全号機停止要請はどうにも合点が行かない。一晩たった今も決断に対するスカッとした爽やかさや覚悟や見識に対する敬意が沸いてこないのだ。

 私自身の原発に関する考え方は先に書いた。よって浜岡原発を停止するという結論は良しとする。

 昨日書いたように要請という言葉が頂けないのだ。だから要請に“  ”を付けた。法律に依らないところだから、命令ではなく、要請なのだろう。超法規的措置という言葉が紙面を飾った新聞もあるが、関連自治体にとっても、日本にとっても、ひいては世界にとっても、無論中部電力にとってもこんなに大切な事柄について法律に依ることなく結論を導くことが許されるのだろうか。

 津波対策が充分ではない、東海地震が起こる確率が他地域に比べ格段に高い、などというものが理由として語られているが私には合理的なものとして捉えられない。確率が高い順に止めていくということなのだろうか。何パーセント以上を高いと言うのだろうか。

 地震国である日本にとって原発がいかなる存在なのかという位置づけを早急に、確実に、為しあげなければならない。つまり、国民的議論を喚起しながら同時並行して政権与党が見解と方向性を定め、野党との論議を重ね、国会において国のエネルギー政策と原子力政策を定め直す。

 原子力安全行政から原子力規制行政に転換するべきなのである。原子力安全・保安院を経済産業省から独立させ、執行力を伴った原子力規制委員会を国家行政組織法第三条に基づいて設置するべきなのである。原子力災害緊急措置・防止法を新たにまとめ、原発の停止権限、権限者をしっかりと定めるべきである。

 浜岡、柏崎刈羽を含め各原発で防潮堤など津波対策が進められようとしている。このことを持って免罪符とでもするかのごとく。

 よく考えたい。「想定外」という言葉の意味を。地震だけを考えてもその計り知れないエネルギーは津波の他に、液状化という問題をも引き起こしている。広大な原発敷地内の地盤改良などの必要性も出てくるのではないか。

 また、ホワイトハウスはテロの標的としての原発について5月6日言及した。今回明らかになった冷却のために求められる外部電源。使用済み核燃料をさらに一定期間冷却するための電源。原発本体に損傷がなくとも外部電源の喪失が今回の大事故につながっている。電源車の配備で済む問題では無かろう。

 浜岡は東海地震の確率が高いからまず停止、というのであれば、日本海側にある原発はテロの標的に成りうる確率が高いのではないか。

 また、中部電力から観れば、電力の安定供給が危ぶまれ、実際に停電、という事態に結びつくならば補償という問題も出てくるだろう。また原発停止による収益悪化はステークホルダーたる株主対策にも関連してくる。

 浜岡原発の停止“要請”に感じるのは極めて小さな政治家の、極めて小さな目的でなされたものであるという情けなさである。

 立法府の活躍に、民主、自民、公明、共産、社民はじめ全ての政党に期待する。原発立地点の各議会議員に心から期待する。お願いしたい。

 

2011年5月 6日 (金)

誰もが感じること、思うこと

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 5月、柏崎のbest view、だと思う。花桃とレモンイエローのラッパ水仙、背景の山桜、広葉樹の新緑、杉の深緑、そして雪を残す米山。実際の風景は格段に美しい。身近なところにあるきれいな景色をきれいだと感じる人、気づく人がたくさんいてほしいと思う。もちろん、主観もあるのだから人それぞれ、ということもあるだろうけれども。

 先ほど、菅首相が浜岡原発の全号機停止を中部電力に要請したと報じられた。原子力に対する考えを変えつつある私であっても首相の“要請”は合点のいくものではない。結論はともかく、唐突さが不自然であり、哲学を感じさせず、覚悟が見えず、一時の人気取りのように思えるのだ。私の主観である。

 誰もがそうだよな、と思えることを、そうだよな、と思えるタイミングで決定実行することの難しさは何事においてもであろう。ただ、今こそ、日本にそのことが強く求められているのだと思う。柏崎にも、である。

2011年5月 2日 (月)

日本共産党吉井英勝氏と「選良」

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 日本共産党の衆議院議員吉井英勝氏とは1回、原発議会サミットの際お目にかかり、祝辞をお願いした。無論、吉井氏は私のことなど覚えていらっしゃらないと思う。

 議会サミットは原発推進、反対、そして私のように「容認」という立場のものも含め、文字通り国民の意見を代表し、議論を行い、それぞれの意見に公平に耳を傾けるという趣旨で開催を目指していた。その当時、日本共産党の方々の意見と私のものは異なるものであったが、吉井氏の祝辞は論理的で、分かりやすいものであったと記憶している。

 次のものは5年前の衆議院内閣委員会での質疑である。私を含め、多くの「選良」と呼ばれるべきものが吉井氏の論理に耳を傾けなかった。

平成18年10月27日吉井議員

 時間が大分迫ってまいりましたので、私、政府参考人に聞く予定をしておった話は、確認する質問は先においておいて、原子力安全委員長の方に直接いきます。
 例えば志賀一号で、地すべりで高圧送電線の鉄塔が倒壊した、外部電源の負荷がなくなったから原発がとまったというのがありますね。原発がとまっても機器冷却系が働かなきゃいけませんが、外部電源からとれればそれからも行けるんですが、それも大規模地震のときはとれないわけですね。
 では、内部電源の方はどうなっているかというと、こちらの方は、実際には九九年の志賀一号だとか、八八年の志賀二号とか、九九年二月や九八年十一月の敦賀の事故とか、実際に、バックアップ電源であるディーゼル発電機自身が事故をやって働かなくなった、あるいは、危ないところで見つけはしたけれども、もし大規模地震と遭遇しておれば働かなかったというふうに、配管の切断とか軸がだめになっていたものとかあるわけです。そういう中で、スウェーデンのフォルスマルク原発一号では、バックアップ電源が四系列あるんだけれども、同時に二系列だめになった、こういう事故があったことは御存じのとおりです。
 それで、日本の原発の約六割は、バックアップ電源は三系列、四系列じゃなくて二系列なんですね、六割は。そうすると、大規模地震等によって原発事故が起こったときに、本体が何とかもったとしても機器冷却系に、津波の方は何とかクリアできて、津波の話はことしの春やりましたけれどもクリアできたとしても、送電鉄塔の倒壊、あるいは外部電源が得られない中で内部電源も、海外で見られるように、事故に遭遇した場合、ディーゼル発電機もバッテリーも働かなくなったときに機器冷却系などが働かなくなるという問題が出てきますね。このときに原子炉はどういうことになっていくのか、この点についての原子力安全委員長の予測というものをお聞きしておきたいと思うんです。
 それが一点と、もう一点は、機器冷却系が働かないと当然、崩壊熱の除去ができませんから、崩壊熱除去ができないことになったときに、核燃料棒のバーンアウトの問題、これは海外でそういう例もありますけれども、こちらの方はどうなっていくのかという原子炉の安全にかかわる問題について、この場合、どのように想定して、そして審査を進めておられるか、これを伺います。

○鈴木参考人 ありがとうございます。
 最初の点でございますが、いろいろな事態がもちろんあり得ると思っていまして、ただ、そういう事態になったとしてもできるだけ、先生が御心配のように、炉心が深刻な事態にならないようにというのが我々がとっている方針でありまして、そういう意味では、例えば非常用ディーゼルが万一動かなくなったという場合には、さらに直流のバッテリーを用意するとか……(吉井委員「いや、フォルスの方はそれもだめでしたからね、二系列」と呼ぶ)フォルスマルクの場合は四系列の二系列がさらにだめになったということですね。(吉井委員「バッテリーもだめでしたから」と呼ぶ)はい、二系列ですね。
 したがって、同じバックアップを多重に持つということと、多様に持つ、つまり、ディーゼルだけじゃなくて直流も持つとか、それからそれぞれを複数持つとか、そういう考え方をまず審査の段階で、設計の段階で確認しております。
 地震等においてさらにそういうものが使えなくなるという事態に対しては、もう一つは、私どもとしては、アクシデントマネジメント、非常事態における管理ということで、日本の場合は同じサイトに複数のプラントがあることが多いので、ほかのプラントと融通するとか、そういうような非常に多角的な対応を今事業者に求めているところでございます。
 それで、先生お尋ねの、そういう事態になったときにバーンアウト等で燃料が破損する、放射能が外部に放出されるというような事態に対してどう考えているかというお話でございますが、これにつきましては、まず、そういう事態になったときに大きな事故に至らないかどうかを設計の段階、最初の基本設計段階で安全評価をして、安全評価の結果、そういう事態に至らないようにまず確認するというのが一番の基本でございます。
 と同時に、しかし、さらに非常に、通常はあり得なくても理論的にはあり得るという事態に対してどう考えるかでございますが、これについては私ども、最近、耐震安全に係る指針を改定いたしました。そういうことで、さらに耐震設計を基本的には厳しくしていきたい、こう考えておりますが、そういう中でも、さらに、残余のリスクと称しておりますけれども、そういうような基準をさらに超えるような大変大きな地震が来たときには、では、どうなのかということも、これは事業者に、そういうことも評価してください、評価した結果、そういうことがまず起こらないことを数字で確認するか何らかの方法で確認してください、そういう方針で今考えております。
 ありがとうございました。

○吉井委員 時間になりましたから終わりますけれども、私が言いましたのは、要するに、フォルスマルク原発の場合も、ディーゼルとそれからバッテリーと両方一系列なんですよ。これは四系列あるうちの二系列がだめになったんです。外部電源もだめですから、ほかのところから引っ張ってくるというのも、もともとだめなんです。ですから、そういう場合にどういうふうに事故は発展していくものかということをやはり想定したことを考えておかないと、それは想定していらっしゃらないということが今のお話ではわかりましたので。
 あわせて、バーンアウトという問題は非常に深刻です、燃料棒自体が溶けてしまうわけですから。これについては海外でチェルノブイリその他にも例があるわけですから、バーンアウトというのは深刻な問題だということで、原子力安全審査というのはまだ発展途上といいますか、この例を言ったら、事務方の方はそれはまだ想定していませんというお話でしたから、きちんとこういうことを想定したものをやらない限り、原子力の安全というのは大丈夫とは言えないものだ、それが現実だということを指摘して、時間が参りましたので、また次の機会に質問したいと思います。
 終わります。


 

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