アランがメロンに
48歳の夏が始まった。猛暑猛暑でとっくの昔に夏は始まっているのだが、私にとってみれば「夏」は夏期講習の始まりを意味する。
日頃は、夜の商売、などと話している学習塾の経営だが、講習時は朝の商売であり、昼の商売であり、夜の商売である。朝8時から夜10時までとなる。昼休み、夕方、パンやおむすびを頬張り、ビタミン剤をタウリン3000mgのドリンクで流し込むという生活になる。体力勝負。
この頃、「黒いですねえ」「いい色に焼けていますねえ」等とよく言われる。これらは全て三男の野球によるものだが、そのたびに「元々青白いインテリで売っていたんですけどねえ」と自嘲している。この1ヶ月で私の本来の姿に近づくだろう。たぶんね。
さて、写真は串田孫一編「アラン人生論集」と富良野メロンである。
アランは私が学生の頃、大学近くの古本屋で¥500で買い、この30年近く、ことあるごとに紐解いているものである。文庫版新品アランを吉野弘詩集とともに今年3月、合格したばかりの北海道の女子大生に送った。
メロンはその彼女からのお返しである。「半返し」という美しい日本の伝統もあるがこうなると倍返し、3倍、4倍返しであり、私はヤミ金を上回る取り立てである。
「おりゃ、おりゃ、姉ちゃん、早う返しな!えっ!」等とメールを打ったこともなく、「アラン、メロン」とこちらから請求したこともない。もちろん、受講料だってしっかっり頂いている。しかし、兼好法師が言うように「ものくるる友」は良き友である。受講生を友に昇格させることで私は一方的な謝意を伝えた。
その女性は当塾の小論文指導の講座を受講していただいたのだ。他の子にも様々な本を合格祝いに送ったのだが、彼女には私の思い入れの深いアランであった。会ったこともない女性なのだが、知的好奇心=賢さを感じさせる子で、添削メールのやりとりが楽しかった。
その彼女から「韻を踏んで」メロンが届いたのだ。さすが我が教え子である。ありがとう。